3月10日

 5時半に目が覚める。まだ外は少し薄暗い。つけっぱなしのテレビでは、ウクライナから退避する日本人を追った映像が流れ続けている。ストレッチをして、ジョギングに出る。不忍池を見て引き返す。シャワーを浴びて、コーヒーを淹れ、たまごかけごはんに納豆も入れて頬張る。琉球新報の投書欄は「次世代の声」と題し、小中高生の投書を掲載している。そこに瀬底小学校6年生の子による「将来の瀬底島」というタイトルの文がある。今年の1月に竹富小学校とオンライン交流会があり、それぞれの発表を終えたあと、「おとなになっても今の島に住み続けたいか」というテーマでチャットをしたという。

「竹富小学校のみんなは『住み続けたい』、瀬底小学校のみんなは『住まないと思う』という意見が多かったです」という一文を、じっと見る。瀬底島は水納島の隣にあり、そこは沖縄本島と架橋されている。対する竹富島は架橋されていない。瀬底のほうが便利な環境にあるはずなのに、だからといって「住み続けたい」と思うかどうかは別問題だ。竹富島は島の景観を守ろうという動きが盛んで、だからこどもたちも「自分たちは竹富島生まれだ」というアイデンティティが強いのかもしれないけれど、その差は何によって生じるのだろう。同じく投書欄には南大東島中学3年生による投書もある。島には中学までしかなく、卒業すれば島を出る。投書は「さようなら南大東/ありがとう南大東」としめくくられている。

 SNSを眺めていると、公設市場の組合長のAさんの投稿が目に留まる。今日の午後に副知事がマチグヮーを視察するため、朝から「案内するルート及び時間確認中」だとある。副知事なら自分でぐるぐる歩けよと思うが、そうもいかないのか。日記を書き、『新宿ふらふら族』から「ポチのキス・マーク」をのんびり読む。

 

 新宿ゴールデン街で顔をあわせれば、いっしょに飲んで、職安通りをこし、百人町の木造アパートの敷きっぱなしのぼくの布団に寝ていくポチは、いったい、どういう気持なのだろう。

 だが、これも、気持といったものではないかもしれない。それに、ひとの気持など考えるのは、おこがましいことだ。しかし、こんな言い方も無責任か。

 

 昼は豚バラと菜の花のパスタを作る。午後はいわきのドキュメント最終回に向けたテープ起こしを進める。19時、知人が作ったパクチー水餃子をツマミに晩酌。Netflixで配信が始まり、知人の周囲では好評だという千鳥の番組観る。「Netflixで世界に配信」というのはすごいことだと、出演者たちが驚いて見せるリアクションが冒頭にあり、妙にげんなりする。それが本当にすごいことだという高揚も感じられなければ、そこから始まった内容も、製作陣が本気で「日本の笑いも世界に通用するんだということを証明するぞ」という意気込みを持っているようには感じられず、案件的にというのか、「こういう時代だから」という企画書的な文言によって始まったとしか思えないような内容だ。テレ東でやっていた『キングちゃん』の企画を特番ぐらいのメンツに並び替えただけで、ぶつくさ文句を言いながら観る。「面白い番組みよったらすぐ寝るのに、つまらん番組だと一向に寝んやん」と知人が隣で言う。