2月15日

 昨晩は日付が替わるころまで寝付けなかった。いちど眠りに落ちてからも、2時間ごとに目が覚めてしまう。動いていないから眠りも浅いのか。どうにか6時過ぎまで寝て過ごす。テレビカード(10時間で千円)を買うのもバカらしく(テレビに刺せるタイプのイヤホンを忘れたので、イヤホンも買う必要がある)、テレビを見てもいなければニュースも追っていないので、なんの準備もしていなかったけれど、ベッドの頭側にある曇りガラスから伝わってくる空気がとても冷たい。通院していた時期に、病院のエアコンの温度が26℃に設定されているのは確認済みだったので、寒さのことは何も気にしていなかったが、今日の朝は2℃で、明日と明後日の朝は0℃の予報になっている。

 入院前に渡されたしおりには、入院初日(手術当日)と、術後1日目、そして術後2日目以降とに分けて記述がなされていた。手術当日と翌日が痛みと出血リスクのピークであり、これを乗り切ればあとはもう、というニュアンスの記述になっていた。まだ気を緩めるタイミングではないにしても、どこか晴れやかである。外はよく晴れている。

 今日からはもう堂々とiPadを見れるので、書評の依頼をされているゲラを読む。おそらくベッドは頭を上げられるはずだけど、勝手に触って怒られても嫌だから、動かさずに読んだ。7時52分ごろになると、朝食の準備ができましたとアナウンスが流れ、3階の食堂に降りていく。朝食は昨日と同じだった。もしかして献立は変わらないのだろうかと味気ない気持ちになりながら咀嚼する。しばらく食べ進めたところで、もやし炒めに魚肉ソーセージが混じっていることに気づく。よく見ればかりかりベーコンが見当たらないから、今日はベーコンのかわりに魚肉ソーセージなのだろう。ゆっくり平らげる。僕の食事が並べられていたのは窓側の席で、正面に食堂の出入り口がある。姿勢を正して咀嚼していると、食事を終えて出ていく患者の姿が視界の正面に入ってくる。僕を含めて全部で8名。おそらく50代ぐらいの方が二人いるほかは、30代から40代前半といったところだ。

 部屋に戻り、薬を飲んで、読書を再開する。食事を再開して24時間が経過したので、そろそろ便通があると踏んで6時半に痛み止めを飲んでおいたのだが、その気配はなかった。それなら薬を飲まなくてもよかったなと、もったいない気がしてくる。術後の排便も「痛む」と表記している箇所が多く、「ただ、心配するあまり、出にくくなるとよくないので頑張りましょう」というトーンで表記しているクリニックが目立つ。それなら便意が訪れそうなタイミングに合わせて痛み止めを使いたいところだ。9時過ぎにナースがやってきて、点滴を投与される。頭痛はないかと確認されて、ないと答え、これで頭を起こしてもよくなった。点滴もこれで最後となる。ベッドの動かし方を教わって、上体を起こし、久しぶりにパソコンを広げて、月曜日の日記を書き始める。

 いちどベッドから立ち、カップにお湯を注ぎにいくと、向かいの病室に貼られてあった名前がひとつ消えていた。さっきの朝食の後に退院したのだろう。向かいも3人部屋で、そこにはもう一人しか入院していない。11時、Jアラートがどうたらという音が外から聴こえてくる。ほどなくしてナースと、点滴のがらがらを引く患者が部屋に入ってくる。どうやら今日から入院する患者のようだ。向かいの部屋が空いているのに、どうしてこっちに入れたのだろう。「じゃあ、荷物を解いていただいて、点滴が終わりましたら――」と説明しようとするナースに、患者は「ああ、だいじょうぶ」と遮るように言い、「一回入院したことあるから」と告げる。その言葉にどきりとする。えっ、もしかして再発して再手術となったのだろうか――?

 ただ、話を聴いていると、今日一泊して、明日の朝の診察が終わると退院だとナースが説明している。なにか特殊な事情があって、手術はしたものの入院しなかったのだろうか? でも、だとしたら、わざわざ1日だけ入院する意味もわからない。一体どういうことだろうなと思っているうちに、11時53分、昼食の準備ができたとアナウンスが流れる。数分経って食堂に行ってみると、そこには3人しかいなかった。朝いた人たちのうち、4人は退院したらしかった。お昼はなんと天ざるうどんであった。とり天にさつまいもの天ぷら、かき揚げがついている。病院食でこんな料理に出会えるとは思ってもみなかった。10年前に入院した時は(内臓疾患が疑われていたこともあって)かなり粗食だった記憶があるが、今回はしっかり食べて、脂分もとって便通を良くするためにも、食事は豪華だ。これは予想外のよろこびだ。

 食事を終えて、階段で病室に戻る。その途中、4階にあるトイレに立ち寄り、4階の病室に張り出された名前が目にとまる。そこに張り出されている名前を合計すると、「4」どころではない。もしかしたら、大部屋(3人部屋)以外だと、食事が部屋に運ばれてくるのだろうか。いや、だとしても、僕と同じ部屋に入室してきた患者も食堂で食事をとるはずだ。自分の部屋まで戻ると、あらたに入院した患者の名前の前には「ポ」と書かれている。ポ? ポってなんだろう。

 午後はひとつ上のフロアに行き、コインランドリーで洗濯をする。まだ3日目だが、初日の夜にナプキンをうまくセットできず、パンツとハーフパンツを汚してしまって履き替えたりして、4日ぶんぐらい持ってきた着替えが少なくなっていた。寝巻きは上下3セットあるが、2着が黒の上下で、1着はグレーだ。グレーだと、汚れがついたときに目立ってしまいそうだから、入院中は黒のセットだけ使いたいところ。

 お昼を食べたことで、いよいよ便通の予感がある。ちょうど痛み止めが切れかかっている時間帯なので、緊張する。廊下をぶらぶら歩きながら、時に腹をさすり、時に体をひねり、降りてくるのを待つ。壁に張り出してあるポスターを眺めていると、「痔の手術・ポリープ手術に実績が」云々と書かれてあるのが目に止まり、ああ、「ポ」だ!と気づく。日帰りなのも、入院が初めてではないのも、入院していても食事がない患者がいるのも納得がいったところで便意が訪れ、4階のトイレ(ここだと部屋の中ではなく、独立したトイレ)に駆け込み、緊張しながら用を足す。昨日あれだけ噛んで食べたおかげか、痛みもなくするりと出て、妙に感激してしまう。

 午後も引き続き日記を書いた。書かなければならない原稿もあるけれど、この期間のことは早めに書いておかなければならない。16時過ぎ、入院患者の診察の時間だとアナウンスが流れ、少し浮かれた気持ちで一階に降りる。順番を待つ間、ロビーにあるテレビを眺める。そこには国会中継が映し出されていて、岸田が被爆地出身の人間として答弁していて、鼻白む。防衛費を増額しておいて、どの面下げてそんなことを言うのか。そもそも広島にアイデンティティがあると思っていないだろうに、何を言っているんだと憤る。

 診察室に入り、今日は院長先生に診察される。ぱっと患部を確認して、「うん、大丈夫だね」と言われてほっとしたのも束の間、「まあ、お風呂は明日からだね」と言われる。なんなら一日二回シャワーを浴びたい人間として、一気に暗い気持ちになる。もう答えは出ているのに、つい「明日ですか」と聞き返す。「うん、今日はまだ我慢したほうがいいね」と。この診察が終わり次第お風呂に入るつもりでいたので、がっかりする。ただ、それならいっそと、洗顔フォームとタオルを手に、ひとつ上のフロアへ。このフロアはシャワー室とランドリーと談話室があるだけで、病室はない。しかも談話室はコロナ禍で閉鎖中なので、滅多に人がやってこない感じがある。ここの洗面台を使って洗顔し、頭もわしわし洗い、ついでに足も洗っておく。あとは濡れタオルで体を拭けば、今夜は乗り切れるだろう。

 部屋に戻ると、同じ日に入院した同室さんが、少しカーテンが開いた状態で荷物を整理している。「シャワー、明日からでした?」と、初めて声をかけられる。「そう、明日からでした。あれ、そちらは……?」「僕も明日からって。楽しみにしてたんで、がっかりしました」。なんだか嬉しくなる。あっという間に夕食の時間になる。食堂に行ってみると、お盆の上には飯の器と、きんぴらごぼうと、青菜の味噌汁と、あとは漬物が4切れだけ。急に質素だ――そう思うのと同じぐらいのタイミングで、視界の隅に他の患者さんが見える。手にしている飯器の中はなにやら茶色っぽいぞ。ああ、なるほど、炊き込みご飯かと蓋を開けると、なんとすき焼き丼である(あとで調べたら、蕎麦屋のメニューとしては「牛丼」となっているが、マロニーが入っていればすき焼きだ)。隣のテーブルに座っている同室さんは、何度もうなずきながらそれを頬張っている。いい人そうだなと勝手に思う。普段東京に暮らしていても、おそらく交わることがない人と接することになって、それは面白い。

 今日も最後にひとり取り残されながら、20分近くかけて大事に夕食を平らげる。気になっていたのは、今日の夕食にはおそばやさんの箸がついていたこと。この食堂には食器の下げ口があって、食事を終えるとお膳を自分で下げにいくのだが、その向こうが調理室になっている感じがある。それなのに、なぜ蕎麦屋のお箸がと気になって、お膳を下げがてら、下げ口の向こう側にいるスタッフの方に尋ねてみると、「今日は出前なんです」との答え。「ここの病院はね、食事を召し上がる方が5人以下のときは出前になるみたいなんですよね」と。今日の出前はすぐ近くにあるお蕎麦屋さんからとったものだという。話しかけてみた感触として、会話を拒絶されている感じもなかったので、「僕は月曜から入院してるんですけど、毎日新しい患者さんが入ってくるわけでもないんですね」と、もうひとつ聞き返す。「そうそう、そうみたいね」とスタッフの方は言う。「明日は木曜日だから、休診日になって、新しく入ってくる人もいないと思いますよ。だから、申し訳ないけど明日も出前になっちゃうわね」と。いえいえ、出前は嬉しいですと言いそうになったけど、それはそれで失礼なきがして、そっか、そうなんですね、ごちそうさまでしたと言って食堂をあとにする。

 病室の前はロビーのようになっていて、ソファが数台置かれている。そこに同室さんがいたので、「今日のごはん、出前だったらしいです。5人以下だと出前になるらしくて、明日も出前だって言ってました」と伝えて、自分のベッドに戻る。自分からこんなふうに人に話しかけるなんて、経過が順調だから浮かれているんだろう。薬を飲んで、タオルで体を拭き、ベッドに横になってウェブ連載の原稿を書く。20時半になったところで作業を終えて、ケータイでparaviのアプリを立ち上げ、バラエティ番組の動画を観る。21時に消灯したあとも動画を観ていた。画面は一番暗くしてあるけど、もしかしたらひかりが壁や天井に反射してたら迷惑かもなと思い、布団をかぶりながら動画を観ていた。