3月13日

 5時近くになって目を覚ます。5時になると、日テレのニュース番組に「“脱マスク”で新しい生活へ」とテロップが表示される。今日からマスクの着用は「個人の判断」と政府が発表したことを受け、そう報じているらしかった。2020年5月25日に、総理大臣の言葉を受けてテレビが「県をまたぐ移動解禁へ」と報じていたときにも、今の報道関係者にはなんの批評精神もないのだなと思ったけれど、すごいテロップだなと思って写真に撮っておく。心がざわざわしそうだから、珍しくテレビを消して過ごす。

 昨晩眠っているあいだも、頭のどこかでインタビューのことを考えていたので、眠りは浅かった。Mさんへのインタビューは今日収録するはずだ。編集者と何度か電話でやりとりをして、「13日のどこかの時間に」という話をしたきりになっていた。最後に連絡があったのは、羅臼滞在中だった木曜日の夜だ。「13日はお昼の収録になっても大丈夫ですか?」と、メールで打診があった。木曜日の夜は、なかば取材モードで羅臼の酒場にいたから、ケータイは機内モードに切り替えていた。ソフトバンクからLINEMOに切り替えたことで、圏外だったときに着信があっても、着信があったかどうか確かめられなくなっていた。だから、もしかしたらメールの前後に何度か電話をもらっていた可能性もある。そのメールには翌日の11時ごろに返事をして、「何時でも大丈夫です」とは伝えてあったのだが、それ以降も羅臼滞在中は機内モードに切り替えている時間帯が多かった。だから、もしかしたら編集者は何度か電話をかけてきたものの、ずっと「電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません」というメッセージであることに業を煮やし、別のライターに依頼をした可能性もある。

 昨日のお昼あたりから、そんなことを考えていた。そもそもライターという仕事をやっておいて、「圏外だった状態で連絡があった場合、着信があったかどうかも確かめられない」という環境にいるのはいかがなものかと、自問自答する。それを承知の上で(留守電サービスがなくなることを理解した上で)格安のLINEMOに切り替えたのだが、せめて着信があったかどうかだけでも知れないものかと検索してみると、去年の秋からLINEMOでも「留守電パック」というのが始まっていた。それはもう、昨日のうちに加入しておいたのだが、もし別のライターに依頼をしていたのだとしたら、インタビューの準備をしていた時間は無駄になってしまう。今はわりとバタついている時期だから、だったら時間がもったいなかったなあと思っていたのだが、昨日の23時過ぎにメールが届いていて、「明日は13時からでお願いします」と書かれていた。

 朝から質問リストを練る。取材時間は50分だけで、延長はできないこと。インタビューを2つの別の記事に仕立てる必要があること。お相手のMさんには何度もインタビューをしたことはあるけど、ハードルは高めだ。それに、過去にインタビューしたことがあって、相手がこちらを信頼してくださっていたことは知っているけれど、過去にそうだったからといって今うまく言葉を引き出せるかは別の話だ。記事をどういう構成で仕上げるか、しっかり考えておかないと、記事にするときに苦労する(刊行前に記事が出せるよう、なるはやで仕上げてほしいと頼まれている)。文字数的に、ひとつの記事はウェブで3ページぐらいに分けて掲載されることになるだろう。だとしたら、ページごとにテーマが必要なはずで、そのテーマを選ぶとしたら――と、コーヒーを淹れながら考える。こういう聞き方をしたら、どんな返事が返ってくるか。この聞き方だと、ちょっと唐突すぎるか。こういうふうに質問を並べると、こういう展開になるか。話をする時間のことを想像し続けて、3時間ほどで質問リストがまとまった。

 12時20分ごろ、こないだ無印良品で買ったセットアップを着て、パソコンだけ抱えて家を出る。朝からうっすら降り続いていた雨は、ざあざあぶりに変わっている。本駒込から南北線に乗り、12時50分には市谷のK社へ。マスクを外している人はほとんどいなかった。今日という日を待ち望んでいた人からしたら、腹立たしく感じるのだろうか。編集者のOさんが1階に降りてきて、Mさんを待つ。やがてMさんのマネージャーさんがやってきたのだが、肝心のMさんは少し遅れているようだった。そわそわする。というのも、「スケジュールの関係で時間の延長はできない」と言われていたけれど、それは「50分間以上はインタビューの時間をとれない」という話なのか、それとも「13時50分までしか時間は取れない」という話なのか、後者だったら厳しいなあとそわそわしていた。念のためOさんに確認すると、「50分は話を聞いてもらってだいじょうぶです」とのことだったので、ほっとする。

 Mさんが到着したところで、会議室でインタビューをする。時間がタイトなので、パソコンの画面にスマートフォンを立てかけ、ストップウォッチで時間を計りながら話を聞いた。そんなふうにインタビューをするのは初めてだ。自分の中で質問リストは6つのブロックに分けてあるので、1つのブロックあたり8分くらいにまとめられたら、時間内に全部のブロックを聴き終えられる――そう考えて、「ラップ」も刻みながら話を聞いた。時間は限られているけれど、じっくり話が聞けて、うれしかった。K社を出ると、もうすっかり雨は上がっている。南北線のホームに着くと、すぐにパソコンに音源を取り込んで、テープ起こしを始める。大江健三郎の訃報。テープ起こしを終えて、すぐに構成に取り掛かり、18時半には編集者に1本目の原稿を送っておく。

 19時ごろに家を出て、久しぶりに「往来座」へ。「久しぶり、元気にしてた?」と、のむみちさんに声をかけてもらって、普段こういうときは「はい、なんとか」みたいに返事をすることが多いのだけど、つい「ちょっと入院してまして」と答えてしまう。どうやって説明しようかと一瞬考えていると、帳場の奥にいたセトさんが「説明がややこしいんだよね」と、かわりに説明してくれる。最近、山頭火を読まなければと思っていたところに文庫版の全集があり、買い求める。ほどなくしてムトーさんもやってきて、あれ、ビール飲んでないの?と声をかけられ、ビールを買いに行く。ムトーさんは氷が入ったカップと酎ハイを買ってきて、カップに注いで飲んでいる。セトさんは、最近はビールがいくらでも飲めるようになった、タンクがきれいになった感じ、と話していた。僕もタンクを洗浄したい。取り出して洗ったり、ちょっと干しておいたりできたらいいのになあ。店内に流れる柳ヶ瀬ブルース。

 セトさんとムトーさんと一緒に、東通り近くの「硯家」へ。明治通り沿いの店舗にしか行ったことがなかったけれど(そこも1回くらいしか入ったことがなかった)、こちらの店舗が先にあったのだと知る。セトさんはビール、ムトーさんは焼酎のお湯割り、僕は熱燗を頼んで乾杯。ある人が東京を離れて郷里に帰ったという話を聞き、そうだったのか、最後に会ったのはいつだっただろうかと思い返す。それは確実に『東京の古本屋』の取材をしていたころで、「これからも古本屋の取材、ぜひ続けてくださいね」と言われたことを思い出す。あのときにはもう、東京を離れることを決めていたのだろうか。近況を話しながら、態度というのか、姿勢というのか、のことを考えていた。誰にどんな言葉をかけるのか、あるいは、どの言葉はそっとしまい込んでおくのか。すべてはそこに尽きるような気がする。セトさんが食べるシメサバは自分が食べる以上に美味しそうに見えた。