3月31日

 7時過ぎに目を覚ます。こんな時間にメールが届き、何かと思ったら先日原稿を書いた記事に関する「ご依頼書」が届いていた。そこに原稿料が記載されていた。なんとなく「2本で5万円ぐらいかな」と思っていたが、金額を確認すると2本で3万円だった。ウェブ記事の単価としては平均的な金額だとは思うけれど、40分(延長不可)の取材で、インタビューを2本に書き分け、それを特急で「納品」する――という内容だったので、勝手に高めの金額を想像していた。事前に本を読み、すぐに記事にできるようにしっかりと質問リストを練り込むのに3日、取材してすぐに文字に起こして構成するのに2日かかっているから、日給に換算してしまえば6千円だ。文章を書いて生きていくことのむつかしさを考える。

 念のために書き添えておくと、不平不満を書き連ねれているわけではない。今回の仕事を振ってくれた方は、あるムックが出版されるときにライターとして仕事を振ってくれて、自分が新刊を出版したときよりひょっとしたら高額な原稿料を支払ってくれたこともある。ただ、出版業界というものが、どうしても先細りになりつつあるのを実感する場面がある、というだけの話。

 少しずつテープ起こしを進めながら、ときどきSNSを眺める。スマートフォンには「リアルタイム」というアプリを入れていて、いくつか登録してあるキーワードに関するツイートがあると通知が届くようにしてあるのだが、キーワードのひとつに「水納島」がある。大抵の場合旅行客のツイートなのだが、今日は水納島に関する記事が公開されていた。30年ぶりに島を訪れた著者が島の現状について綴った記事だが、記事を終わりのほうまで読んでいくと、どうやら船が水納島に到着したあと、すぐ次の便で引き返したらしいことがわかり、へなへなとした気持ちになる。定期船は水納島にせいぜい15分くらいしか停泊せず、そのまま本島側に引き返していく。しかも、その「取材」記事は、船の船長に聞いた話だけで構成されている。この記事を紹介した編集者は「すべての有人島を歩き、今もめぐり続けている××さんだから書ける島の移り変わり」と投稿していたが、「だから書ける」というのは、一体どこを指しているのだろう。その著者の書いた本は、水納島について書く上で目を通していたが、「なにしろ憧れの島だった。理由は簡単。チュラカーギー(美人)だから。それに、人を寄せ付けない孤高の姿もよかった」と書き始めて、現在はその「孤高」の島に観光客が押し寄せている現状に「なんだか残念だった」「もうぼくだけの島にはなりそうもない」と書いて締めくくっているのを読んで、こんなふうに書いてしまう人もいるのか、と思っていた(旅行者が「ぼくだけの」と書いてしまえる神経も不思議だったし、島の人たちがどんな思いで観光に踏み切ったのか、一度でも聞いてみたことがあるのだろうか)。

 こんなふうに、人の書いたものに何か言ってばかりいても仕方がないのだけど、自分の本が出たばかりだから、言葉に神経質になっているのかもしれない。自分が書いた言葉が、誰かにとって無神経と思われるようなものになってしまっていないかと、いつも気にしてしまう。

 18時過ぎ、散歩に出る。「往来堂書店」に行き、めずらしく美術の棚も眺める(子規の『病牀六尺』を読んでいる影響)。歌川広重について子規が言及しているのを読んで、歌川広重Wikipediaを眺め、影響を受けた人物に葛飾北斎の名前があがっていたのが印象に残っていて、『北斎漫画』というのを1巻だけ買った。他に『「現代写真」の系譜』や『増補 20世紀写真史』、『アジア「窓」紀行』も買い求める。青山餃子房で惣菜4品と、やなか珈琲で豆を200グラム買って帰途につき、知人と晩酌しながら『今夜すきやきだよ』を一気に観ていく。