4月5日

 7時に知人のアラームが鳴り、その30分後にもアラームが鳴る。どうして起きるわけでもない時間にアラームをかけるのかと、眠気を抱えながら苛立ちをぶつけると、知人は謝りながらも「あれ、今日早いんじゃなかったっけ」と言う。そうだった。急いでコーヒーを淹れ、歯を磨き、シャワーを浴び、もう一度歯を磨いてコーヒーをちょろっとだけ飲んで、スーツケースを引いて家を出る。年度が変わったからか、あるいは季節が変わったからか、ピーチのダイヤが改正されたようで、1便は6時40分、2便は10時15分に変更されている。3月までは8時20分発の2便があった。8時20分の便に乗ろうとすると、6時25分ぐらいのスカイライナーに乗らなければ間に合わず、朝早いのでタクシーを利用していたが、駅まで(タクシーアプリの配車代を含めて)千円程度とはいえ、今日はそんなに早い時間帯でもないのだからと、スーツケースを弾きながら駅まで歩いた。

 日暮里駅に到着し、いつものようにスカイライナーの残り席数を確認する。3月中旬は残り144席というところまで売れていたが、卒業旅行のシーズンが終わったからか、今日は残り242席と表示されていた。ただ、それでも2月までと比べると、社内の雰囲気はまるで違っている。通路を挟んだ向こう側の席には、小学生ぐらいの男の子とその母親とおぼしき女性が並んで座っていて、男の子のテーブルには崎陽軒シウマイ弁当が置かれていて、母親のテーブルにはコンビニパンが置かれていた。学校が春休みのうちに旅行に出かけるのだろうか。母親はシウマイ弁当のシウマイに一個ずつしょうゆを差してあげている。朝からシウマイ弁当ってなかなかわんぱくだなと思っていると、男の子はシウマイとからあげと魚で白米を半分ぐらい食べて、「もうお腹いっぱい」と、弁当を母親に手渡す。君な、シウマイ弁当にかぎらず、駅弁っていうのはごはんとおかずの配分を考えながら食べるものであって、そんなふうにおかずだけばくばく食うもんじゃないんやぞ、と注意したくなってしまう。もしかしたらそのまま捨ててしまうのではと思っていたが、母親は残ったたけのこと玉子焼きだけで残りの白米を平らげていた。ひとつ前の席には若者が座っていて、車窓の景色を背景に何枚か自撮りをすると、ぴしゃっとカーテンを下げた。こんな感じの雰囲気も、2月まではあまり出くわすことがなかった。

 成田空港の雰囲気も、やっぱり2月までとは違っている。東アジアからの旅行客だろうか、誰かとビデオ通話をしながら自動チェックイン機を操作し、首を傾げている。その様子を見かねたスタッフが近づき、対応していたが、この便は9時で搭乗受付を終了したのだと、英語で説明されている。時計を確認すると時刻は9時14分だ。その旅行客はしばらくその場にしゃがみ込んでいた。チェックイン手続きを済ませ、預け荷物に列に並んでいると、若者が駆け込んできて、列をすっ飛ばしてカウンターの職員に声をかけ、そこでも「もう搭乗受付時刻を過ぎています」と言われ、がっくりと肩を落として去っていった。

 預け荷物の列はなかなか進まなかった。ピーチのカウンターだと、預け荷物がある場合、カウンターに行くとまず搭乗券を手渡し、預け荷物の前に、機内に持ち込む手荷物の重量チェックがある。これは7キロがリミットで、それを超えた場合は預け荷物のほうに荷物を移すように求められる。そのあとに預け荷物の重量を計り、荷物の中に預けられないものがないか確認される。初めてピーチを利用するのだとしても、列に並んでいるあいだ、先にカウンターで手続きをしている人がどんなやりとりをしているのかは見えているから、なんとなくの流れはわかるはずだと思うのだが、その流れを把握していない乗客が多く、なかなか列が進まなかった。自分の番がきたときに、パッと搭乗券を渡し、先に持ち込み荷物を重量計にのせ、続けて預け荷物を台にのせて「iPadが入ってますけど、電源は切ってタオルで梱包してあります」と告げる。すると、窓口のスタッフの方も「いつもご利用ありがとうございます。こちらに該当する荷物もございませんかね?」とスムーズに話が進み、あっという間に手続きは終わった。そのスムーズさにどこか心地よさを感じている自分の、旅慣れた人間ぶった心性はみっともないものだなと思いながら、ポストを探し、取材の依頼状を投函しておく。今日も例のテレビ番組の取材クルーが到着ゲートに待ち構えていた。

 保安検査場を通過し、飛行機に搭乗する。やっぱり、都内で電車に乗っている時に比べて、マスクをつけていない人の割合がずっと高い感じがする。これはこの時期に旅行に出る客層ということが影響しているのか、あるいは旅行先に沖縄を選ぶ層ということが関係しているのだろうか。搭乗口の近くに売店があって、そこでは土産物や飲み物のほか、カレーやらーめんみたいな軽食も少しだけ販売されている。そこで売っていたカレーを手に飛行機に搭乗していく乗客がいて、もちろん持ち込み禁止なわけではないにせよ、食べながら飛行機に乗り込んでくる人というのを初めて見たから、ちょっとびっくりした。その若者の胸元にはカレーのしみができていた。3月に沖縄に出かけたときは、「今この状況で、KN95マスクに加えて、ゴーグルみたいなメガネまでつけたら物々しくなるかな」と思ってゴーグルみたいなメガネはつけずにいたのだが、今回は周囲の乗客がほとんどマスクをつけておらず、万が一にもここで感染するわけにはいかないと思って、ゴーグルみたいなメガネもつけた。今回の沖縄行きは、NHKのお昼の番組に出演するためだ。それに、新聞の取材を受ける予定も入っている。もしもそれに出られなくなれば、売り上げにもかなり響いてくる。

 那覇空港に到着後、ゆいレールで美栄橋に出て、「エナジックホテル山市」にチェックイン。荷物を置いてすぐに外に出て、Uさんのお店に立ち寄り、しばらく立ち話。市場界隈をひとしきり歩いたのち、「パーラー小やじ」と「末廣ブルース」をハシゴする。ほろよい気分で公設市場2階の食堂街の様子を見にいくと、「D」のSさんがこちらに手を振っている。珍しくSさんもビールを飲んでいるところだ。どうやら定期的に旅行で訪れる常連さんが来店したから、一緒にビールを飲んでいるようだった。「松本さんもここ座って!」と呼び止められ、一緒に飲むことに。その常連さんは、「先輩! 呼び止めちゃってすいません!」とこちらに詫びている。「先輩、僕より年上ですよね」と言われたのだが、相手の年齢を尋ねると51歳であった。そんな老けて見えるのか、ということよりも、年齢がわかっても「先輩」という呼び方が続いていることのほうが不思議だった。自分がいるのとは違うノリの文化圏を感じていたのだが、聞けば元自衛官なのだという。

 Sさんが僕のことを紹介するときに、「RK新報で市場のことをずっと書いていて」と説明していたこともあって、「いや、RK新報と聞いたとき、言おうかどうか迷ったんですけど――でも、政治的な立場は抜きにして、先輩、僕も市場が好きなんです」と、その常連さんは言っていた。僕は新聞記者ではないし、新聞記者であったとしても、自衛隊の施設が新設されることを批判的に報じることと、たまたま出会った人とどう接するかはまったく別の話だから、そのあたりをきちんと説明したいと思ったけれど、そんな時間はなさそうだった。「自分は一泊二日なもんですから、まわらなきゃいけないところがたくさんあって、分刻みなんです」と、その人は言っていた。「先輩はどのあたりをまわられるんですか」と尋ねられ、この公設市場周辺か、あとは栄町のほうですかねと答えると、「ああ、あのあたりはせんべろ街ですもんね」と、相手が言う。「あのあたりだと、僕みたいなナリの人間でも絡まれたことありますよ。僕はあっちはあんまり――やっぱり松山、泉崎のほうですね」と。栄町はせんべろ街ではないと思うのだけれども、そんなことを説明する余裕もなさそうだった。

 Sさんによれば、リニューアルオープンからずっと盛況が続いているのだという。ただ、消防法の関係で廊下を広くとらなければならず、建て替え工事に入る前は60席とれていたのに、今は40席しかとれないのだという。ただ、リニューアルオープン後の平均的な売り上げを聞いて、度肝を抜かれる。1週間分の、ではなく、1日でそんなに売り上げがあるのかと驚いた。常連さんが帰ったあとも、しばらくビールを飲んで過ごしていると、Sさんがソーメンチャンプルーを出してくれた。「松本さんね、私のおすすめはこれ。ソーメンチャンプルーはね、ソーメンが美味しくないと駄目なの。うちはね、ソーメンにかなりこだわってる」。たしかに、一口食べてみると、かなり上品な味だ。沖縄のソーミンチャンプルーは、油の香りが強いものが多く、その香りの強さも好きではあるのだが、「D」のソーメンチャンプルーは上品な香りがした。

 7時に知人のアラームが鳴り、その30分後にもアラームが鳴る。どうして起きるわけでもない時間にアラームをかけるのかと、眠気を抱えながら苛立ちをぶつけると、知人は謝りながらも「あれ、今日早いんじゃなかったっけ」と言う。そうだった。急いでコーヒーを淹れ、歯を磨き、シャワーを浴び、もう一度歯を磨いてコーヒーをちょろっとだけ飲んで、スーツケースを引いて家を出る。年度が変わったからか、あるいは季節が変わったからか、ピーチのダイヤが改正されたようで、1便は6時40分、2便は10時15分に変更されている。3月までは8時20分発の2便があった。8時20分の便に乗ろうとすると、6時25分ぐらいのスカイライナーに乗らなければ間に合わず、朝早いのでタクシーを利用していたが、駅まで(タクシーアプリの配車代を含めて)千円程度とはいえ、今日はそんなに早い時間帯でもないのだからと、スーツケースを弾きながら駅まで歩いた。

 日暮里駅に到着し、いつものようにスカイライナーの残り席数を確認する。3月中旬は残り144席というところまで売れていたが、卒業旅行のシーズンが終わったからか、今日は残り242席と表示されていた。ただ、それでも2月までと比べると、社内の雰囲気はまるで違っている。通路を挟んだ向こう側の席には、小学生ぐらいの男の子とその母親とおぼしき女性が並んで座っていて、男の子のテーブルには崎陽軒シウマイ弁当が置かれていて、母親のテーブルにはコンビニパンが置かれていた。学校が春休みのうちに旅行に出かけるのだろうか。母親はシウマイ弁当のシウマイに一個ずつしょうゆを差してあげている。朝からシウマイ弁当ってなかなかわんぱくだなと思っていると、男の子はシウマイとからあげと魚で白米を半分ぐらい食べて、「もうお腹いっぱい」と、弁当を母親に手渡す。君な、シウマイ弁当にかぎらず、駅弁っていうのはごはんとおかずの配分を考えながら食べるものであって、そんなふうにおかずだけばくばく食うもんじゃないんやぞ、と注意したくなってしまう。もしかしたらそのまま捨ててしまうのではと思っていたが、母親は残ったたけのこと玉子焼きだけで残りの白米を平らげていた。ひとつ前の席には若者が座っていて、車窓の景色を背景に何枚か自撮りをすると、ぴしゃっとカーテンを下げた。こんな感じの雰囲気も、2月まではあまり出くわすことがなかった。

 成田空港の雰囲気も、やっぱり2月までとは違っている。東アジアからの旅行客だろうか、誰かとビデオ通話をしながら自動チェックイン機を操作し、首を傾げている。その様子を見かねたスタッフが近づき、対応していたが、この便は9時で搭乗受付を終了したのだと、英語で説明されている。時計を確認すると時刻は9時14分だ。その旅行客はしばらくその場にしゃがみ込んでいた。チェックイン手続きを済ませ、預け荷物に列に並んでいると、若者が駆け込んできて、列をすっ飛ばしてカウンターの職員に声をかけ、そこでも「もう搭乗受付時刻を過ぎています」と言われ、がっくりと肩を落として去っていった。

 預け荷物の列はなかなか進まなかった。ピーチのカウンターだと、預け荷物がある場合、カウンターに行くとまず搭乗券を手渡し、預け荷物の前に、機内に持ち込む手荷物の重量チェックがある。これは7キロがリミットで、それを超えた場合は預け荷物のほうに荷物を移すように求められる。そのあとに預け荷物の重量を計り、荷物の中に預けられないものがないか確認される。初めてピーチを利用するのだとしても、列に並んでいるあいだ、先にカウンターで手続きをしている人がどんなやりとりをしているのかは見えているから、なんとなくの流れはわかるはずだと思うのだが、その流れを把握していない乗客が多く、なかなか列が進まなかった。自分の番がきたときに、パッと搭乗券を渡し、先に持ち込み荷物を重量計にのせ、続けて預け荷物を台にのせて「iPadが入ってますけど、電源は切ってタオルで梱包してあります」と告げる。すると、窓口のスタッフの方も「いつもご利用ありがとうございます。こちらに該当する荷物もございませんかね?」とスムーズに話が進み、あっという間に手続きは終わった。そのスムーズさにどこか心地よさを感じている自分の、旅慣れた人間ぶった心性はみっともないものだなと思いながら、ポストを探し、取材の依頼状を投函しておく。今日も例のテレビ番組の取材クルーが到着ゲートに待ち構えていた。

 保安検査場を通過し、飛行機に搭乗する。やっぱり、都内で電車に乗っている時に比べて、マスクをつけていない人の割合がずっと高い感じがする。これはこの時期に旅行に出る客層ということが影響しているのか、あるいは旅行先に沖縄を選ぶ層ということが関係しているのだろうか。搭乗口の近くに売店があって、そこでは土産物や飲み物のほか、カレーやらーめんみたいな軽食も少しだけ販売されている。そこで売っていたカレーを手に飛行機に搭乗していく乗客がいて、もちろん持ち込み禁止なわけではないにせよ、食べながら飛行機に乗り込んでくる人というのを初めて見たから、ちょっとびっくりした。その若者の胸元にはカレーのしみができていた。3月に沖縄に出かけたときは、「今この状況で、KN95マスクに加えて、ゴーグルみたいなメガネまでつけたら物々しくなるかな」と思ってゴーグルみたいなメガネはつけずにいたのだが、今回は周囲の乗客がほとんどマスクをつけておらず、万が一にもここで感染するわけにはいかないと思って、ゴーグルみたいなメガネもつけた。今回の沖縄行きは、NHKのお昼の番組に出演するためだ。それに、新聞の取材を受ける予定も入っている。もしもそれに出られなくなれば、売り上げにもかなり響いてくる。

 那覇空港に到着後、ゆいレールで美栄橋に出て、「エナジックホテル山市」にチェックイン。荷物を置いてすぐに外に出て、Uさんのお店に立ち寄り、しばらく立ち話。市場界隈をひとしきり歩いたのち、「パーラー小やじ」と「末廣ブルース」をハシゴする。ほろよい気分で公設市場2階の食堂街の様子を見にいくと、「D」のSさんがこちらに手を振っている。珍しくSさんもビールを飲んでいるところだ。どうやら定期的に旅行で訪れる常連さんが来店したから、一緒にビールを飲んでいるようだった。「松本さんもここ座って!」と呼び止められ、一緒に飲むことに。その常連さんは、「先輩! 呼び止めちゃってすいません!」とこちらに詫びている。「先輩、僕より年上ですよね」と言われたのだが、相手の年齢を尋ねると51歳であった。そんな老けて見えるのか、ということよりも、年齢がわかっても「先輩」という呼び方が続いていることのほうが不思議だった。自分がいるのとは違うノリの文化圏を感じていたのだが、聞けば元自衛官なのだという。

 Sさんが僕のことを紹介するときに、「RK新報で市場のことをずっと書いていて」と説明していたこともあって、「いや、RK新報と聞いたとき、言おうかどうか迷ったんですけど――でも、政治的な立場は抜きにして、先輩、僕も市場が好きなんです」と、その常連さんは言っていた。僕は新聞記者ではないし、新聞記者であったとしても、自衛隊の施設が新設されることを批判的に報じることと、たまたま出会った人とどう接するかはまったく別の話だから、そのあたりをきちんと説明したいと思ったけれど、そんな時間はなさそうだった。「自分は一泊二日なもんですから、まわらなきゃいけないところがたくさんあって、分刻みなんです」と、その人は言っていた。「先輩はどのあたりをまわられるんですか」と尋ねられ、この公設市場周辺か、あとは栄町のほうですかねと答えると、「ああ、あのあたりはせんべろ街ですもんね」と、相手が言う。「あのあたりだと、僕みたいなナリの人間でも絡まれたことありますよ。僕はあっちはあんまり――やっぱり松山、泉崎のほうですね」と。栄町はせんべろ街ではないと思うのだけれども、そんなことを説明する余裕もなさそうだった。

 Sさんによれば、リニューアルオープンからずっと盛況が続いているのだという。ただ、消防法の関係で廊下を広くとらなければならず、建て替え工事に入る前は60席とれていたのに、今は40席しかとれないのだという。ただ、リニューアルオープン後の平均的な売り上げを聞いて、度肝を抜かれる。1週間分の、ではなく、1日でそんなに売り上げがあるのかと驚いた。常連さんが帰ったあとも、しばらくビールを飲んで過ごしていると、Sさんがソーメンチャンプルーを出してくれた。「松本さんね、私のおすすめはこれ。ソーメンチャンプルーはね、ソーメンが美味しくないと駄目なの。うちはね、ソーメンにかなりこだわってる」。たしかに、一口食べてみると、かなり上品な味だ。沖縄のソーミンチャンプルーは、油の香りが強いものが多く、その香りの強さも好きではあるのだが、「D」のソーメンチャンプルーは上品な香りがした。