3月10日

 5時過ぎ、宿で目をさます。昨晩は酒場を2軒はしごして飲んでいたので、久しぶりになかなか飲んだなという感じがあり、からだが重い。7時過ぎまで布団の中でぐずぐずして、そこからシャワーを浴びて、取材モードに入る。雨が降っている。午前中は「観光」の予定があり、インタビューのアポイントもとってあった。その取材は13時近くになって終わり、そのお相手におすすめを尋ねると道の駅に入っている食堂を案内されたので(お昼に営業している食堂自体が少ない)、そこで昆布らーめんを平らげる。ビールも飲んだ。いちど宿に戻ったあと、少し休息したのち、気になっていた喫茶店に行ってみる。お店も気になるし、そこで一緒になった70代のお客さんのことも気になる。「気になる」というか、自然とお話しする流れになって、「これは、記録しておきたい」という気持ちになって、名刺を渡した上で「話を書かせてもらえませんか」と相談する。快諾してもらって、あれこれ話を聞き、最後に写真も撮らせてもらった。結局、2時間近く話し込んで、連絡先を交換して別れた。夜は昨日と同じ「2軒」に足を運んだ。どちらも昨日よりずっと賑わっていて、疑っていたわけではもちろんないのだけれど、昨日の言葉は本当だったのだなと思う。

3月9日

 10時半に家を出て、スーツケースを引きずりながら羽田へ。今日はこれから羅臼に向かう。飛行機ののりばも、ターミナルの一番はじっこだ。飛行機の中でもずっと仕事をしていた。中標津空港から、連絡バスに乗り、中標津バスターミナルに出る。とりあえずバスに乗り、出発前に運転手が乗客に行き先を聞いてまわり、その場で料金を徴収するシステムだった。240円。中標津バスターミナルには数人だけバスを待つ乗客がいて、テレビでは『ミヤネ屋』が流れていた。1時間以上ターミナルで仕事をして、待っていたバスに乗り、羅臼へ。ここから先のことはたぶん原稿に書く。ただ、ホテルにチェックインしたあとに酒場に出かけると、どこも閑散としていた。「普段はもっとお客さんいるんだよ」と、酒場の人たちは旅行客に誤解されるのは不本意だといった調子で弁解していた。酒場のテレビには、WBCの初戦の様子が映し出されていた。酒場の店員さんは、食い入るように画面を見つめていた。

3月8日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れ、朝食の支度をする。納豆ごはん、インスタント味噌汁、ひじきの煮物、ししゃも3匹。今回は「減塩」と書かれたインスタント味噌汁を選んでみたけど、そんなに薄味とも感じなかった。新刊のポスターをデザイナーのTさんに作ってもらうお願いをしてあるので、入れてもらう文言の案を作り、編集のMさんに送っておく。シャワーを浴びて、秋葉原に行き、PCR検査を受ける。海外からの旅行客だろうか、あるいは日本に暮らしているのだろうか、中国の方が検査を受けにきていて、「このお名前は印字できないんです」と説明されていた。

 上野駅で乗り換えて、三河島に出る。改札を出たところの道路がゆるやかにカーブしていて、ちょっと珍しいなと感じる。駅前にはキムチ屋さんがあり、インド料理店があり、路地に入ると八百屋とスナックがあった。ほとんど来たことがなかったけど、気になる町だ。数分歩いて、いつもの病院へ。どういうわけか今日は過去最高の混みっぷりだ。こんな日に限ってパソコンを持ってきていなかったので、持参した文庫本を読んでしまうと暇になる。70分ほど待って、ようやく診察を受ける。術後3週間が経過し、今日は中の状態も確認される。今日はいつもと違って女性の医師で、順調ですね、と言われる。明日から飛行機で出張なんですけど、気をつけたほうがいいことはありますかと尋ねると、しばらく考えて「ないです」と医師が言う。便通だけ気をつけてもらえたら、とのことだった。

 帰り道は西日暮里で電車を降りて、よみせ通りの西のはじっこあたりにある花屋に立ち寄り、ミモザを買う。これまで何度か花を買ったことがあるけれど、今日という日にミモザを選んだせいか、プレゼント用という前提で話が進みかけたので、「すみません、自宅用です」と伝えて、簡単な包装にしてもらう。今日は国際女性デーだ。それを知ったのは数年前、この季節にイタリアを訪れたときのことだった。その日僕はフィレンツェにいて、そこかしこでミモザを売っているのを見かけ、ミモザの束を買って女子楽屋にプレゼントした。その翌年は神戸にいて、ミモザを売っているお店を探して歩き、Hさんに「もしよかったら、お子さんに」と花束を渡したことを思い返す。

 そこからずんずん歩いて、「往来堂書店」へ。『文學界』と『新潮』、『dancyu』に『あまから手帖』などを買う。レジでO店長に「新刊、今日入荷しましたよ」と声をかけてもらったので、「並べてもらっているところを写真に撮らせてもらおうかなと思っていたんですけど、ちょっとくるのが早かったですね」と伝えると、まだ店頭に並んでいなかった新刊を並べてくださる(「並べてくださる」も何も、著者がそんなふうに言ってきたら並べざるを得ないので、「暴力的」な物言いだったのは自覚しているけれど)。お礼を言って、写真を撮らせてもらって、ツイッターに写真を投稿する。

 帰宅後に適当に昼食を済ませて、夕方までは仕事を進めたあと、夜は知人と晩酌をする。酒を飲みながら、国会図書館で複写してきたデータを、ひたすらスキャンしておく。旅先にまで紙の束を持っていかなくても、iPadで確認できるようにしておくのは、最近は生命線になりつつある。

3月7日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、朝食をとる。今日は納豆も切らしていたので、白飯にもずくスープ、ししゃも3匹だけ。午前中のうちにY.Fさんのドキュメントを完成させて、Facebookのメッセージで送信しておく。そのあとは依頼されていた書評を書き進める。掲載されるのはウェブだからと、何も気にせず書き進める。途中で休憩がてらテレビをつけると、「廃校がリゾート施設に/千葉の街がメキシカン」と『ひるおび』のテロップに表示されている。廃校を利用したグランピング施設がオープンすることになり、町の名前が「多古」(たこ)というところから、メキシカンをテーマにしたらしかった。廃校といえば、21世紀に入ってからはアート系の「文化的」な施設に利用された例をよく見かけていたけれど、こういう商業施設にとって変わられていくのだろうか。

 正午過ぎ、豚肉と小松菜、ニラにニンジンにしめじにもやしを適当に炒めて昼食をとる。16過ぎに書評(?)がほぼ書き上がったものの、依頼された3000字の倍の長さになってしまった。これをどうするかは明日考えることにする。今日は新刊の取次搬入日だ。都内だと、早ければ今日にも並び始めるはずだ。ネットの在庫検索を1時間おきに更新してみたけれど、「在庫あり」になるところは1店舗だけだった。店員さんに声をかけることができたら、店頭に並んでいるところを撮影させてもらおうと思っていたのだけれども、本は「行政学」の棚に平積みされていた。『日本型「談合」の研究』と、『スマートシティ3.0』というムックに挟まれている。『市場界隈』のとき、あるお店でも「行政」の棚に挿されていたことを思い出す。あえてこの棚を撮影させてもらって、SNSに発信すると、なんらかの意図を持ってアップした感じになってしまう気もするので、「撮影させてもらえませんか」と店員さんに声をかけることもなく、お店をあとにする。

 大手町の地下通路で大いに迷い、半蔵門線に乗って神保町に出る。「東京堂書店」を覗いてみたものの、まだ入荷されていないようだった。18時半にH社に立ち寄り、著者買取ぶんとして、新刊を10冊受け取る。「伯剌西爾」で神田ブレンド200グラム買って、今日も「浅野屋」へ。昨日はMさんにご馳走になってしまったので、自腹で飲んでおこうと、瓶ビールとほたるいかで軽く一杯。

3月6日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、朝食をとる。インスタント味噌汁を買いそびれていたので、いつだか沖縄で買ったままになっていたもずくスープをつけた。朝からY.Fさんのドキュメントを書き進める。テレビで短いニュースが始まると、国会議員が懲罰に応じて謝罪するかどうかがトップで扱われていて馬鹿らしくなる。昼は冷凍食品の牛丼に卵を落として平らげる。14時半頃に原稿がほぼまとまり、そうだ、調べ物をしておかなければと思い立ち、国会図書館へ。赤と黄色と青の国旗が通りに掲げられている。調べてみるとルーマニアの国旗だ。卒論シーズンも終わったのか、図書館はわりと空いていた。羅臼に関連した雑誌記事を複写する。後ろに約束があるので全部を網羅することはできなかった。

 17時15分に国会図書館を出て、神保町に出る。いちどH社に寄り、荷物を置いたあと、近くの文具店へ。普通のサインペンはいくつか用意してもらっていたけど、せっかくデザイナーのTさんが紙を選び、色を選んで最初のページをデザインしてくださっているのだから、そこに文字を書くならちゃんとペンを選びたい(ただ、パッと署名を頼まれたときに、その場にあったペンでサインを入れたこともたくさんあるけども)。今回は銀色のペンを選んで、H社に戻り、100冊にサインを入れる。書くというより、形をつくる、という感覚にいつもなる。

 20分ほどでサインを入れ終えて、編集者のMさんと「浅野屋」に行き、乾杯。テレビから野球の鳴り物の音が聴こえている。ひときわ大きな歓声があがり、画面を見上げると、大谷がホームランを打ったらしかった。最近考えていることをポツポツ話す。編集の仕事はもうやらないのと尋ねられ、自分は編集には向いてないと思う、という話をする。ただ、自分が最初に仕事をした『e』誌のことは、いろんな人に話を聞いた上で記録しておきたい気もするし、論壇史の盛衰についても誰かに聞き書きしておいてほしいという気持ちがあるけど、誰もやらない気がするから、あくまで「歴史の一段面」として記録したい気はする、という話をする。その「一段面」というのをMさんは面白がってくれた。そして、正史として語られる歴史は正史としてあるけれど、自分の中にはそれとは違う歴史がある、とMさんは言っていた。

 それとは別に、最近聴いたラジオ番組の話あたりから、「生活の中にある感覚」みたいやものをいつか書きたい、と僕が話すと、佐内正史小沢健二の名前を挙げながらMさんは話を聞かせてくれた。そして、90年代にも「生活」に光が当てられていたところはあって、それはどこか「回復」のための生活という感じがあったけど、橋本くんの場合はそういう回路でもなさそうだから面白そう、と。僕が「いちど種田山頭火をちゃんと読みたい」と言うと、「いいね。俺も最近、久保田万太郎読んでる」とMさんは言っていた。テレビからまた歓声が聞こえてくる。大谷翔平がまたホームランを打っている。

3月5日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れて、朝食をとる。納豆ごはんとインスタント味噌汁、それに冷凍しておいたほうれん草をおひたしにする。ごはんは常に、ジップロックの平たい容器で保存してある。知人向けに100グラム強のパックと、自分が食べるように200グラムのパックを冷凍してある。朝でも昼でも200グラム食べていて、前は朝ごはんはたまごかけごはんで済ませることが多かったから気にならなかったけど、おかずと汁を用意して食べるとなると、コメを200グラムも食べてしまうと満腹で苦しくなる。それで最近は昼食の時間が14時過ぎになってしまっていたので、今回からは朝食用に150グラムのパックも用意しておいたので、ほどよい量だ。ただ、こうなってくると悩ましいのが見分け方だ。100グラムか200グラムかの二択であれば、すぐに判断がつく。これが100グラム、150グラム、200グラムとなると、ややこしくなる。とりあえず200グラムの容器には「大」と書いておいたけど、日記を書いている今になって考えると、見分けのつけやすさを考えると、150グラムに「中」と書いておけば、100と200を間違えるはずもないのだから、「大」ではなく「中」を書いておくべきだったなと反省する。

 マルコメのインスタントの味噌汁は今日で飲み切った。12食ぶん入っていて、1日1食のペースで飲んでいたから、退院からもうすぐ2週間が経つのか。朝食を終えると、資料を整理する。書評の依頼をされていたゲラは、iPadで線を引きながら読んでいた。その線を引いた箇所だけ、テキストデータを引っ張り出して、ワードにまとめておく。その作業が終わったところでシャワーを浴びて、9時半に知人と一緒に家を出る。退院してからずっと、ソファに寝転がりながらパソコン作業を続けてきたせいか、腰が爆発しそうだ。

 千代田線で北千住に出て、東武鉄道に乗り換える。パッと思い出せる範囲では、ここで東武鉄道に乗り換えるのは初めてだし、北千住で東武に乗り換えられることすらほとんど意識したことがなかった。ホームをずんずん進んで、特急のりばを目指す。特急券を2枚買って、特急りょうもうに乗り込んだ。車内で書評の方向性を練っているうちに30分近く経ち、顔を上げるとあっという間にのどかな景色になっている。途中でトイレに経った知人が、車内のトイレが和式だったことをアトラクションみたいに話していた。太田駅で特急を降り、在来線に乗り換えると、車内は多国籍な雰囲気だ。車内広告に「羽生モータースクール 行田フォークリフトセンター 行田ドローンスクール」と文字が並んでいる。ドローンはもう物流を支える道具になっているのだなと驚く。

 終点の伊勢崎駅で電車を降りる。「ちょうど防府ぐらいの田舎」だと、防府出身の知人がずっと言っている。駅構内の感じも防府に似てるし、駅のコンコースに居酒屋が入っている感じも似てるし、駅前に空き地があるのも似てる、と。ただ、防府は東京から5時間近くかかるけど、ここなら2時間ほどでたどり着けるし、ここが実家だったらずいぶん安く帰省できる。

 駅前には大きなスーパーがあって、そこを過ぎると空き地の多い住宅地になる。少し先に大きなAPAホテルが見えるのと、ラブホテルだろうか、巨大なお城のような建物が見える。信号を右折して進むと、煉瓦造りの鐘楼があった。大正時代に作られたものだという。その近くには公園があって、「ここの土、青くない?」と知人がしきりに言う。言われてみれば、広場の土がうっすら青みがかっている。「あれじゃない? 関東ローム層っていうぐらいだから――」といい加減なことを言いかけたが、それなら青ではなく赤くなるのだろう。「アローカナの卵みたいな色」と、知人は言っていた。車一台分の幅しかない橋で川を越えると、今日の目的地であるペルー料理店が見えてくる。いま書評を書こうとしている本の中に、このお店の話が少し出てきた。その「書評」は、単に書評というのではなく、僕がこれまでいろんな土地を訪れたり、取材をしたりしてきたことを踏まえて、自由に、エッセイのように書いてもらえたらと依頼されていた。入院中にそのゲラを読んで、足を運んだ上で書評を書こうと決めていたのだった。

 訪ねてみると、そこは店舗というより、ちょっと大きな一軒家の外観をしていた。ただ、しっかり看板は出ているし、国旗(?)も掲げられている。オープンしたばかりの時間に到着したこともあり、僕らが口開けの客だった。3皿くらい食べたいところだけど、まずは様子を見ようと、セビーチェとロモ・サルタドを注文する。セビーチェを注文するかどうかは迷ったけれど(辛いものを食べることにはまだ不安が残る)、知人が一番食べたいのはセビーチェだというのと、ペルー料理ならセビーチェやろと言われ、セビーチェも注文した。店員さんは気を利かせて「辛い? 辛いのなし?」と尋ねてくれたので、ああ、そういう選び方もできるのかと、「僕は辛いのが苦手で、こっちは辛いのがすごく好きなので、ソースを別でもらえますか」とお願いすると、笑顔で対応してくれる。

 料理はすぐに運ばれてきた。ロモ・サルタドは牛肉とネギとたまねぎとポテトを醤油味に炒めた料理で、ペルーのソウルフードらしかった。ウマイ。このロモ・サルタドにもポテトが入っているし、セビーチェにもポテトが添えられていて、どちらも抜群に甘い。甘いと酸っぱいを交互に平らげる。僕たちが入店したあと、ひと組、またひと組とお客さんがやってくる。僕たち以外は皆クルマで、店員さんとスペイン語でやりとりをしている。運ばれていく料理を横目で見ていると、どれもボリューミーだ。事前に電話で注文しておいたのか、料理をテイクアウトしていくお客さんもちらほらいた。この2皿だけで僕はすっかり満腹になり、1時間ほどでお店をあとにする。1皿1500円という値段は、注文した時点ではちょっと割高にも思えたけど、量を考えれば納得の値段だ(それに、ラーメンも海外だと割高になるように、異国で母国の味を提供しようとすると、どうしてもコストがかかるのだろう)。それに、ふたりでペルービールを3本ずつ飲んで、1時間ゆったり過ごして、合計で6000円というのは決して高くない。

 すっかり満腹になって、駅まで引き返す。たった2皿で満腹になったことに対して、「ぶちつまらん人間になっとるやん」と知人が言う。普段、外食するタイミングで知人が量を控えようとすると、「せっかく食べにきたのに、飯食わんなんてつまらんやろ」と、これまで僕が文句を言ってきたので)。「腹八分目でとめておこう」と思っていたわけでもないのに、2皿で満腹になってしまった。腹ごなしに駅の反対側まで歩き、モスクを遠巻きに見学したのち、電車に乗って引き返す。特急の停車する太田駅で一度改札を出て、美術館に立ち寄る。午前中に太田駅で電車を乗り換えたとき、ホームから不思議な建物が見えていた。白くておしゃれな建物の外壁に、こどもの落書きみたいな文字が描かれていて、知人が「あれ、なんやろ」と検索してみるとそこは美術館で、「なむはむだはむ」展が開催されていたのだった。せっかく知り合いの展示に偶然出くわしたのだからと、500円払って展示を見ていく。この美術館は図書館と一体になっていて、不思議な空間だった。入り口にあったスバル関連の土産物に惹かれ、スバルサブレを買い求める。そういえば太田はスバルの城下町だ。駅前の地図で「スバル町」という表示を確認しておく。

 特急りょうもうに乗って東京に引き返す。ちょっとした小旅行になった。知人と東京の外に出るのは久しぶりだという感じがする。特急の中ではY.Fさんのドキュメントを練って、途中からはグリーンチャンネルで競馬中継を観る。パドックの気配も抜群で、3連単をトップナイフ(1番人気)1着固定で6点買ったものの、トップナイフは2着に終わった。特急が北千住に到着したのは16時22分で、もうここで晩ごはんを買って帰ることにする。せっかくだからとルミネの7階に入っていた無印良品に立ち寄り、フェイスタオルを3枚買う。最近は花粉を避けて、顔に触れるものは部屋干しにしているので、バスタオルは使わずに、フェイスタオルで体を拭いている。今日の朝に洗濯機をまわしたとき、知人の赤い服と一緒に洗ってしまって、フェイスタオルが3枚赤く染まってしまっていた。その赤く染まったフェイスタオルというのは、実家から持ってきたものだ。そこにはホテルの名前が編まれている。父が出張で宿泊したときに、アメニティを持ち帰ったのだ(小さい頃は「へえ、ホテルに泊まったらタオルがもらえるんだ」と思っていたので、それは本来持ち帰ってはいけないものだと知ったのは大人になってからだ)。こないだ入院したときに持参したタオルのうち、数枚がホテルから持ち替えられたタオルだったので、ちょっと恥ずかしく思っていた。それがうっすら赤く染まってしまったことで、買い換える決心がついた。

 せっかくだからと店内を物色する。店内の配置がゆったりしていて見やすい気がする。そういえば1軒、久しぶりにインタビュー仕事が入りそうで、取材のときに着られるしっかりめの服が欲しいところだ(普段履いているのはユニクロのズボンで、洗濯しすぎて色褪せてきている)。「セットアップで着られます」と書かれたシャツを見つけ、それとセットのズボンを試着し、すぐに購入を決める。買い物に時間がかかるタイプの知人は「そんなに早く買い物できてうらやましい」と言っていた。ルミネの地下で惣菜を買って、千駄木まで帰ってくるころには日が暮れていた。20時近くまでY.Fさんのドキュメントの構想を練ったあと、晩酌をする。腰の痛みがピークに達して、早々に横になる。

3月4日

 7時過ぎに目を覚ます。傷口から滲み出していた液もずいぶん少なくなってきて、退院のとき多めに買っておいたナプキンは使い切らないうちに傷口が塞がりそうだ。コーヒーを淹れて、朝食をとる。納豆ごはん、インスタント味噌汁、ししゃも、切り干し大根。午前中はY・Fさんのドキュメントを書くためのテープ起こしを進める。お昼が近づいたあたりで、那覇のUさんからメールが届く。企画展に向けて、最近はちらほらメールでやりとりをしているのだが、昨日届いたメールには「仮設市場は明日閉場しますが、ほとんど話題になっていません。最初から仮設だと思い入れももたないものなんでしょうか」と書かれてあって、その数行をしばらくじっと見つめていた。僕は定期的に通って取材を続けているような顔をしているけれど、仮設市場がオープンするときには立ち会わなかったし、仮設市場の最終営業日である今日も那覇にはいなくて、その様子を見届けていないのだ。

 今日届いたメールには、昨日の夜に「道頓堀」に出かけて、「今朝も10時に仮設市場に行き、O・Fさんを訪ねました」と書かれてあった。そして、そのメールを読んで、『市場界隈』で取材させてもらったO・Fさんがリニューアルオープンする公設市場には戻らず、仮設市場とともに店を閉じるのだということを知った。『市場界隈』のときに話を聞かせてもらっておきながら、Uさんからのメールでその事実を知ったということに、なんと書けばいいのか、しばらく考え込んでしまう。

 昼は知人に、鯖缶とトマト缶のパスタを作ってもらう。今週は唐辛子なしで作ってもらったのだけれども、それでもまだうっすら辛さを感じる。おそらく胡椒に辛さを感じているのだろう。刺激物をなるべく避けて過ごしていたから、口が敏感になっている(普段は胡椒を辛いだなんて感じないから、人間の感覚は不思議なものだなと思う)。この日の鯖缶は近所で安く売られているものを僕が買っておいたのだが、どうも鯖に臭みがある。「だから、鯖缶はええやつを選んで買わんと駄目なんよ」と知人が言う。

 午後も引き続きテープ起こしを進める。3時間半ほど、ある場所に滞在しながらレコーダーをまわしていたので、データが膨大だ。那覇の「U」で展示する写真をセレクトしながら、録音データを聴き、「ここは起こしたほうがよさそうだ」というところに出くわすたびに文字起こしをして、また写真をセレクトする――という作業を続ける。15時過ぎにようやく起こしが終わり、桜花賞トライアルのチューリップ賞の予想をする。本馬場入場のとき、カメラがやけに誘導馬を映しているなあと思っていたら、騎乗しているのは今日引退式を迎える福永祐一だった。今日は三連単を買っていたのだが、僕が軸に選んだキタウイングは6着に終わった。

 日が暮れた頃になって、知人はライブを観に出かけてゆく。僕は引き続きテープ起こしを進める。20時半になって、近所の八百屋で野菜を買っておいた野菜のオイスターソース炒めを作り、晩酌をする。ライブハウスに行くのは久しぶりだという知人は、「久しぶり過ぎて勝手がわからん」とLINEを送ってくる。野菜炒めを食べ終えると、またテープ起こしを再開する。23時近くになって帰ってきた知人と一緒に『R-1グランプリ』を観た。ここ数年で、フリップ芸のモニター化(紙をめくるのではなく、モニターに表する)がずいぶん進んだなと思う。それと、客との間合いは関係なしに進んでいくネタが多いように感じる。それは、Yes!アキトやサツマカワRPGよりも、たとえばカベポスター永見にそれを感じた(それとは別の話として、司会がファイナリストを「後輩」として扱う感じがあったのも気になった。他のコンテストはもう少し「ファイナリスト」という存在に対して敬意があるような気がする)。そういう面だと、優勝したネタがいちばんライブ感があった。事前に用意した画像をスライドショー的にモニターに表示するのではなく、デジカメをOHP的に使用することで「今ここで起こっていることを見ている」という感じが高まるし、観覧のお客さんを巻き込みながらネタをやっていく感じがあった。ただ、それは結局のところ「劇場でのライブっぽさ」でもあるので、「ピン芸の日本一」とは何か、ということをぼんやり考えながら見ていた。そう考えると、審査員にどこまで広い見識があるのかも問われてくる。『マヂカルラブリーオールナイトニッポン』は毎週楽しく聴いていて、面白いとは思っているけれど、野田クリスタルにどこまで「審査」の適性があるんだろうかと考えた。最新のコンテンツに触れているわけでもなければ、物を知らないということはラジオで(コンビふたりとも)自ら語っている。先日、ラジオの中で「からあげクンに地域限定味が登場」というニュースを取り上げていたときに、村上の出身地も含まれる中部地方は「とり野菜みそ味」だったという話に触れ、「とり野菜みそ味って、ぼんやりしすぎだろ」みたいな話になっていた。いや、名古屋コーチンがあるから「とり」なんじゃないか、名古屋飯赤味噌使ったものがあるし――と、そんな話がしばらく続いていて、「とり野菜みそ」が一つの商品だということを知らないようだった。別にとり野菜みそを知らなくたって生きいけるし、知らないからなんだということでも(普通に生きているぶんには)はないけれど、そのことがずっと記憶に残っている。