イタリアで制作されている作品のタイトルは『IL MIO TEMPO』、日本語に訳すと『私の時間』だ。今回の制作はまず、出演者の8人にインタビューするところから始まった。インタビューをした上で全員に同じ質問をした。何かから逃げたエピソード。告白した(あるいは告白された)エピソード。痛かったエピソード。別れに関するエピソード。死ぬかと思ったエピソード。ホテルでのエピソード。それに、生まれて最初の記憶のこと。

 そんなふうに質問をするところから作品づくりを始めたというのは意外だった。ワークショップであれば参加者に話を聞き、それをもとに作り上げた発表会をおこなってきた。でも、今行っているのは作品をつくるための作業だ。僕が相部屋で過ごしている波佐谷さんも、「たしかに、今までこうやって質問されることってなかったですね」と言う。

「たとえば、普通の会話の中で話したことを藤田君がおぼえてて、それを作品に反映させることはありましたけど、トピックを立てて質問されるのは初めてかもしれないですね。たとえば作品の中で“別れ”ってことを語るとき、藤田君が経験した別れってことを僕らが演じることはありましたけど、稽古の中で、作品の題材にするために聞かれるってことはなかったです。こうやって聞かれるのも初めてだし、それに答えて話すのも初めてだし、不思議っちゃ不思議ですね」

 タイトルが『IL MIO TEMPO』に決まったのは、ケルンに滞在しているときのことだ。

「あのときはかなり疲れてて、体調もキツくて、だけど旅は続けなくちゃいけなくて――旅って楽しいものではないじゃないですか。楽しい時間もあるけど、楽しいだけじゃ全然ないから」。たしかに、ケルン滞在中の藤田さんは本当に体調が悪そうだった。あんなにおいしいコルシュが飲めるのに、藤田さんは具合が悪くてジュースを飲んで過ごしていた。

「何で自分はこうやって旅をしてるのかって思ったときに、僕は自分を切り売りしてるというか、いろんな時間のために自分の時間を割いてるなって思うときがあるんですよね。人に見てもらうものを作るわけだから、演出家って実はサービス業だっていうか、“自分の時間”をばらばらにして人に分けてるような作業だなと思っていて。それは休みがないとか、そういうことではなくて。旅をしながらいろんな作品を作って、いろんなことを思ってやるわけじゃないですか。“自分の時間”を探しながら、“自分の時間”を疑いながら。一方で、旅そのものが“自分の時間”なのかもしれないと思うこともあるし、いろんなことを考えたかったっていうことですね」

 2日目の滞在記に書いたように、藤田さんはどこか焦りを感じているように思えた。その焦りというのは、その「自分の時間を疑う」ということと繋がっているように思えた。午前中、コインランドリーまで歩いてとき、藤田さんは「今ちょっと、短編集みたいな感じでいけたらいいかなと思ってるんですよね」と切り出した。

 「短編集ってこととは違うんだけど、一つ一つにちゃんと暗転を挟んで、最大でも15分ぐらいのシーンにしようかなと思っていて。今、いつものマームの作り方と近い感じでできてるのはすごいなと思ってるんですよ。ここまで1分未満のシーンをいっぱい作ってきたわけですけど、これを無理やりフルスケールの作品に編集するより、ちょっとまとまったぐらいのところのほうがダサくない気がするというか。下手な編集のままフルスケールっぽく見せて『ずたぼろなところもあったよね』って言われるよりは、一つ一つ、15分ぐらいのことをまず集中力を持ってやる。あとはもう、役者さんの編集でやるんじゃなくて、僕の編集として配置していく。これまで作ってきたフルスケールの作品よりばらばらに見えるかもしれないけど、何となくまとまりを持った1時間半ぐらいの集合体になってたら、それはもう見世物になるんじゃないかと思う」

 イタリアの滞在制作は、当初は1ヶ月の予定だったが、最終的には2週間に短縮されていた。2週間で一個の作品を作るというのは、相当厳しいスケジュールだ。それに加えて、もう一つ問題が発生していた。発表会は26日と27日の2日間という約束でやってきたはずなのに、こちらに到着してみると、どういうわけか「23日から27日までの5日間」として告知されていたのだ。門田さんと林さんが2日間かけて交渉し、発表会自体は2日間のみということに調整することができた。

 ただ――藤田さんのキャパシティを考えるに、今ある断片を繋げて一つの作品にすることは不可能ではないはずだ。でも、今回はそれをしようとはしなかった。藤田さんと日本人の役者だけでミーティングを行っているとき、「23日から発表会をするってことを引き受けるしかないんじゃないか」という話が出た。それに対して、藤田さんはこう語った。

 「それはもちろん、作ろうと思えば作れるよ。それはいいんだけど、今まで関係を作ってきたイタリアの皆に対して、そういう態度を取る? ここまで良い感じで稽古をやってこれたと思ってるんだけど、それをいきなり急かして作り始めるのってすごい嫌だよね。そのスタンスを変えてまで、要求されたスケジュールに合わせる意味がわからないんだよね。……今話しててわかってきたけど、日本での僕のクオリティの上げ方ってことで、イタリアの皆とは作りたくないと思ってるのかもしれない。僕のやりかたに皆を当てはめようとすること自体がある意味で“侵略的”だし、僕らのやりかたに引きずり込んでるだけだから。今、丁寧に皆のエピソードを拾いながら、皆の身体ってことを見てきたわけだけど、それに対する適切な編集の仕方ってあると思うんだ。それは、日本と同じようにストイックにやれたからいいとかってことじゃないと思うんだよ。とりあえず、良いマテリアルはできてきてる。そのマテリアルをどうフルスケールにするかってことは来年以降に考えればいいことで、短くてもなんでもいいから、良いグルーヴのものを何個作れるかってことが勝負な気がする」

 藤田さんが焦りや違和感を抱いていたのはきっと、この問題によるものだったのだろう。イタリア人の皆も、マームとジプシーの作品を理解し、こちらが伝えようとすることを驚くべき集中力で受け止めてくれている。このまま作れば、マームとジプシーの作品を海外の俳優と作ることができるだろう。では、果たして、それが正解なのか。それを試すことが、このプロジェクトの目的だったのか――。稽古を進めていくうちに、そうした疑問が浮かんだのではないか。

 この日の稽古では、プロジェクターで映写する映像や写真を撮影して歩くと、出演者の8人で車座になりミーティングが開かれた。

 「発表会のことなんだけど、昨日までの感じですごく良い感触を得てて、今回のキャスティングは間違ってなかったんだなっていう成果があった。これをいきなりロングセットというか、フルスケールの作品にしてしまうのはもったいない気がしてる。だから今回は、12個くらいの短編集みたいなことにしようと思ってるんだよね。皆も不安だったと思うけど、いきなり難しいことに挑もうとするんじゃなくて、今やってる作業もきちんと面白い作業ができてるから、その面白いマテリアルをきちんと煮詰めることができれば今年はオッケーだと思ってる」

 今日の稽古は「僕の頭をまとめをしたくて、今日はちょっと早めに上げます」ということで、15時半に切り上げられた。稽古が終わったところで、藤田さんにインタビューをさせてもらう。国内6都市で上演された『cocoon』、『てんとてん』のケルン公演、『カタチノチガウ』の北京公演――今年の夏、僕はずっと彼らの旅に同行してきた。その先々で、出演者にインタビューすることは何度となくあったが、藤田さんにICレコーダーを向けるのは、今年の夏は今日が初めてだ。




――海外の俳優と一緒に作品をつくるのは今回が初めてということもあって、色々心配はあったと思うんです。その心配とはまた別に、こっちにきて作業を進めていく中で生まれた心配があって、それで今日の話に至ったんだと思います。滞在制作が始まって今日で1週間ですけど、こっちに来てみて気づいたことにはどんなことがありますか?

藤田 言葉のリズムっていうことが――まあ想像通りでもあるんだけど――やっぱり全然違ってたっていうことがあって。これまで日本語のリズムで稽古したり、日本語のリズムでシーンを組んでたわけなんだけど、それってはたしてどれぐらい意味があるんだろうってことを、一昨日から昨日ぐらいにかけてずっと考えてしまっていて、そのことにぶち当たってたんだと思うんですよね。それを考えたときに、日本でやってるのと等しい活動をしなくていいんじゃないかっていうふうに思って。「イタリア人とやるから今までやってきたことを捨てる」ってことは嫌だなと思ってたけど、そうじゃなくて、「イタリア人とやるからこういうふうにしていこう」ってポジティブに思えたのが昨日と一昨日ですね。

――稽古を観ていて思ったのは、もっとマーム的な手法で持って行こうと思えば持っていくことができると思うんですよね。でも、それをやるのは違うって感覚があったんだろうな、と。

藤田 そうそう。それは『cocoon』のときにも考えたことで、今福島でやってる作業の中でも考えてることなんですよね。『カタチノチガウ』が一番わかりやすいと思うけど、その3人に求めてることって、やっぱり相当エッジが効いてることというか、かなり厳しいことだと思うんですよね。それは言葉が通じないとできないレベルだし、考え方もかなり限界に近いところに行ってると思うんです。『てんとてん』を観てても高度なことをやってるなと思うんだけど、それをじゃあ『cocoon』のメンバーとできるのか――できるのかっていうか、それをさせるのかっていうことなんですけど。もちろん、やらせようと思えばできると思うけど、それをさせようとしなくていいと思ったんですよね。10年近く一緒にやってきたメンバーには熟練した面白さがあるけど、今出会った人とやるときに、10年近くやってきたメンバーと同じことをやらせるのがはたして得策なのかっていうことで。それを今、『cocoon』、福島での作業、イタリアとで考えてる感じがあるんですよね。

――その二つを分けて考えるってだけじゃなくて、10年近く一緒にやってきた皆と出会ったばかりの皆を交えて考えてるってことが面白いですね。

藤田 そうですね。『cocoon』とかだとわかりやすいけど、青柳さんとか聡子とかは後半まで生き残るけど、徐々に今回出会ったメンバーとは別れていくわけですよね。そうしたときに、出会いたてのグルーヴのままお別れしていかなきゃいけない感じがあって、そこがうまくいってるなと思ったんですよ。今回の滞在制作に関して言うと、まだ答えは出てないんだけど、イタリアの皆の身体に出会ったときに、日本から連れてきた4人が感化されてる様子がちょっとあるんですよね。「そこにアプローチするためには」ってことを考えていて。

 こっちにくるまで、北九州の滞在制作をモデルにミーティングしてたんですよ。北九州は北九州でもちろん良かったんだけど、あのときの僕ってやっぱり26歳で、それまでマームがやってきた流れのまま、北九州の人たちに「ついてこい」って言ってる感じがあって。もちろんそれだけではなかったけど、ちょっとその節はあった気がするし、初演の『cocoon』もそうだった気がするんですよね。それが最近ほどけてきてて、ほどけたところで――しかも僕的にも良い編集ができたなって思える瞬間が増えてきてて。

 あと、またイタリアの話に戻すと、ほんとに日本語じゃない言語が結構好きだなって思うんですよ。日本人と日本語でやってたら、母国語だからかもしれないけど、日本語に足を引っ張られてる感じがするんですよね。

――意味がわかることで、重力みたいなのが生まれるときはありますよね。

藤田 でも、たとえば今ジャコモがやってることって、イタリア語を知らなくても見りゃわかるってぐらいの演技なんだけど、違う国の身体だからテンポがすごい見えたりする。そういう、言葉じゃないところにアプローチしようとしたときに、やっぱり日本でやってる編集じゃ駄目だなっていうことはある。だから、まずは僕も観察できる編集のしかたがいいなと思ったんですよね。

――今日、ミーティングをしてるときに、「マテリアル」って言葉を使っていたことが印象的だったんですよね。今回の稽古は、役者に対する見つめかたがまた違ってきてるように思えるんです。今回は役者の皆に質問するところから制作を初めたわけですけど、そんなことってなかったわけですよね?

藤田 そうですね。その質問から得られたことを選ぶのは僕だけど、究極的には僕の話じゃないものにしていて。今回、それがエスカレートしてるのは――今の日本の感じですかね。これは別に、政治のことだけを言ってるわけじゃないんだけど、人の話とか、人の声を聞いてねえなって感覚がすごいあるんですよね。でも、もしかしたら僕も、そういう態度を役者の皆に取ってたのかもしれなくて。自分の世界を獲得するために、相当な犠牲を払ってきたんだろうなってことにゾッとするというか。

――そう感じるようになったのは、何かきっかけがあるんですか?

藤田 一番は沖縄公演ですね。あのとき、郁子さんや今日さんとずっと話してたのは、「誰の作品でもなくなりたい」ってことで、上演時間中、僕はもう気配を消したかったんです。誰かの思想のもとに作られた作品ってことになり過ぎちゃうと――『cocoon』は特に、テーマがそうだから。沖縄公演は、正直初日のほうがクオリティは高かったんだけど、2日目の最後に窓を開けた瞬間に、あの空間にいる200人の作品になったなって思ったんですよね。最近はもう、「結局、藤田作品だよね」って言われることに喜びを得てないんだと思います。

――たぶん今、藤田さんの中で、何にリアリティを感じるのかってところが変わってきたんじゃないかって気がするんですよね。「私」ってものの規模であるとか、目の前にいる人をどう見つめるかってことだとか。

藤田 そうですね。僕自身に対する違和感っていうのは強まってきてるのはありますね。もちろん、見てきたつもりだと思ってたんです。でも、「見てきたと思ってたけど、見てなかったんじゃないの」って気持ちは年々大きくなってきてて。やっぱり、編集でカットされた部分のことをすごく考えるんですよね。

――言い方は悪いけど、編集してカットしたときに、切りくずみたいなものが出てくるわけですよね。それが消えることなく、ずっと残り続けてる?

藤田 それを思い出すときがあるんですよ。ちょっと病気みたいに、「あのときはの子はあれを言ってたのに、何で僕はあそこを切り落としたんだろう」とかってこと考えてしまって。やっぱり、カットはするわけですよ。カットすれば格好良くなるのはわかってるし、それをやってきたんだけど、そこで大切なものが抜け落ちた部分があるんじゃないかってことが、年々大きくなってきてるんだと思います。




 劇場をあとにして、キッチンに引き返す。キッチン前の廊下には窓があって、劇場の前にある広場を見渡すことができる。ふと外に目をやると、続々と人が集まり始めている。ちびっこもいれば、旗を掲げてやってくる人もいる。イタリアの皆に、何が起きているのか確認してもらうと、マフィア撲滅のデモ行進がこれから行われるのだという。ただ、どこか和やかな雰囲気が漂っていて、ちょっとしたピクニックみたいだ。「わー、人がいっぱいだ」と言っていたあゆみさんが、突然語り出す。「バーラム・ユー。バーラム・ユー。羊毛を着た仲間達に変わらぬ忠誠を、変わらぬ愛を」。一体どうしてしまったのだろうかと唖然としていると、それは映画『ベイブ』に登場する言葉なのだとあゆみさんは教えてくれた。