8月10日

 3時半に目が覚めてしまう。どうにか眠ろうとしても、深い眠りにはつけず、つけっぱなしのテレビをぼんやり眺める。渋谷で「クラスターフェス」が開催されたと、それなりの時間を費やし報じられている。どこか面白がっているように感じる。『日刊SPA!』に、森原ドンタコス「“うがい薬”祭り、報道番組ディレクターが振り返る舞台裏」(https://nikkan-spa.jp/1688069)という記事が出ていたことを思い出す。記事には「現役の報道番組ディレクター」である「益子さん」(仮名)が登場し、8月4日の正午過ぎ、在阪ネット局から東京のテレビ局に連絡が入ったときのことを振り返る。

 

「なんでも大阪府知事が、コロナに有効な薬について記者会見を行うというんです。みんな色めき立って、情報収集が始まりました。もしかしたら事前に情報が漏れて、どこかの製薬会社の株が上がっていないか、海外製薬メーカーと付き合いのある商社の株はどうだ? そして、コロナに勝てる! という希望が見えたんです」(益子さん、以下同)

 ところが、である。会見の直前になり、その「薬」がどうやら市販のうがい薬らしいという情報が入ってきたのである。益子さんが続ける。

「は? って感じで、拍子抜けですよ。会見を生中継しようと動いていたスタッフも、それならやる意味はねえな、と見送りに決まったんです。会見では予想通り、府知事が某メーカーのうがい薬を宣伝するような内容で、これは流石に生中継しなくてよかった、となったんですが……とあるワイドショーが会見を中継してしまったんです」

 中継するには憚られる内容の会見だったものの、ネットの反応は早かった。会見でとんでもないことを言っている、本当なのか、買い占めや転売が始まる、エビデンスは大丈夫なのか……。世の中がこの会見に注目していることが、手に取るようにわかったのだ。

「うちでも急遽取り上げよう、となりまして。慌てて取材を開始しました。都内の薬局にADを向かわせ取材をしたり、街中の通行人に『会見は見ました? どう思います?』と聞いたり……」

  

 念のためにもう一度書いておくと、これは「情報番組ディレクター」ではなく、「報道番組ディレクター」による回想だ。報道が、大阪府知事が記者会見すると聞くと「色めき立って」、「事前に情報が漏れて」いるのではと推測して製薬会社の株をチェックし、「コロナに勝てる!」という「希望」を見る。テレビ画面を眺めているだけでもなんとなく伝わってくることではあるけれど、日本の報道番組はこの程度のレベルなのだと、さもしい気持ちになる。「とあるワイドショーが会見を中継してしまった」と、『ミヤネ屋』は所詮ワイドショーだと批判的に語りながらも、報道番組である自分たちも「慌てて取材を開始」したとき、専門家の知見に触れて正しい情報を広めようと努めるのではなく、「都内の薬局にADを向かわせ」たり、「通行人」の意見を聞いたり、日本の報道番組はこの程度なんだよなと再確認させられる記事だった。

 「クラスターフェス」についても、いくぶんかは批判的に語りながらも、ほとんどその意見を垂れ流している。参加者の女性が「ウイルスはものすごく小さいから、マスクの網目を通り過ぎちゃうんで、マスクしてても無意味なんですよ」とにやけながら語る映像が、たっぷり流れる。そんなことは何ヶ月も前にすでに言われていたことではあるけれど、それでも飛沫を拡散させてしまうのを防げるからと、「マスクを」と言われているというのに。「どんな意見でも発言する自由がある」ということと、「メディアが限られた紙幅や放送時間の中にどんな発言を載せるべきかは峻別されるべき」ということとは別問題であるはずだ。「クラスターフェス」がそれなりに時間を割いて放送されるのを眺めていると、「報道番組」の現場が「お、キワモノが出てきたぞ」と面白がっている様子が浮かんでくるようで、暗澹たる気持ちになる。その「報道」を真正面から受け止めてしまう人たちが出てくることにも。

 しかし、なんだろう、このにやにやした感じ。にやにやした感じがする。「マスクなんて無意味」というときの、あの感じ。海の向こうでも、マスクに反対するデモや、感染者と同席する「コロナパーティー」が開催されたと報じられてきた。それをメディア越しに眺めながら、西欧では「個人の自由」に対する感覚がずいぶん違っているのだなあと思っていた。そこには信仰があり、「神に与えられた権威を世俗権力であれ誰であれ、侵害できない」という強い確信があるのだ、と。それに比べると、「自由」に対して、ぼくはそこまで強い確信を持てずにいる(自分の行動を、世間や政治にとやかく言われる筋合いはないという「気分」は常に持っているけれど、それはただの「気分」で、「確信」や「信仰」と呼べるほどではない)。海の向こうには(それが科学的に正しいかどうかを超越する)「信仰」があるのだなあと、マスクに反対するデモの様子を眺めていた。それに比べて、日本のクラスターフェスはにやにやした感じがする。そこまでの「信仰」というのか、肚が据わった感じはしない――と、こうやって言葉にしてみると、自分がずいぶん西欧に対して好意的に解釈していることに気づかされる。向こうでマスクに反対するデモをしている人たちも、現地の人たちからすれば、同じようににやにやした感じに見えるのかもしれない。「コロナパーティー」で亡くなった男性も、死の間際に「(自分の言動は)間違っていたようだ」と語っていたことを思い出す。

 朝9時にたまごかけごはんを平らげ、坪内祐三編『明治の文学(17)樋口一葉』(筑摩書房)と、池澤夏樹編『日本文学全集 樋口一葉夏目漱石森鴎外』(河出書房新社)を並べる。布団に腹這いになりながら、樋口一葉たけくらべ』を、現代語訳と比較しながら、読み進めていく。冒頭の「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く」は、現代語訳では「廻ってゆけば、吉原のたったひとつしかない大門の、見返り柳までの道のりはかなりな長さになるけれど、そのぐるりを囲むお歯黒どぶ、そう、遊女が厭になっても何があっても逃げられないようにと掘られたどぶには、三階建の廓の灯りがこうこうと映って、どんちゃん騒ぎも手にとるように感じられるし」となる。「お齒ぐろ溝」という言葉が何を意味するのか、現在ではその様子を感じ取れないので、言葉が補足されている。しかし、「遊女が厭になっても何があっても逃げられないように」という言葉は、原文を超えたかなり大胆な現代語訳だ。あるいは、「伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何でもよい」という箇所が「そうだおばさん、お店に知恵の板って売ってるかなあ、なかったら十六武蔵でもええんやけど」と、東京言葉とは別の言葉遣いに意訳してあるのも、なかなか大胆だ。

 ちびちび読み進めているうちにお昼になり、サッポロ一番みそらーめん旨辛を知人に作ってもらう。今日はなかなか辛い味付けになっていて、ウマイ。午後も少しずつ読み進めて、16時になってようやく読み終える。すぐに身支度をして、念のために日焼け止めを塗り、知人と一緒に出かける。本駒込から南北線で四谷に出て、丸の内線で新宿まで。そういえば今日は祝日で、地下鉄の中には小さなこどもを連れた若い夫婦の姿もちらほら見かけた。新宿駅西口を地上に出ると、大きな音を立てて飛行機が頭上を通り過ぎてゆく。その機影の大きさに驚き、わ、飛行機!と知人に呼びかけ、指を差す。16時56分に京王百貨店の屋上に上がると、バーベキューに興じる若者たちの姿がぱっと目に飛び込んでくる。17時に合わせてやってきたのだけれど、今日は祝日だから15時にオープンしていたらしかった。調べてみると、京王百貨店の屋上に「BBQガーデン」が登場したのは2017年だという。前はエレベーターを出てすぐの場所がビアガーデンで、奥のエリアがBBQガーデンという配置になっていた気がする。それが今や、上がってすぐの場所がBBQガーデンとなった。

 大騒ぎの若者たちを横目に通り抜け、奥でビアガーデンの受付をし、席に案内される。メニューを眺めるまもなく「今、注文を承りますね」と言われ、中ジョッキを2杯と、あとで注文にいくのも面倒だからと、枝豆とてっぱんソーセージ3種チョリソ入りも頼んでおく。テーブルで会計なので、その場で支払いを済ませる。ビールが運ばれてくるのを待ちながら、メニューをじっくり眺めると、「フードメニューお一人様1,000円以上のご注文 お一人様+1,950円で飲み放題120分セット」と端っこに書かれてあるのに気づく。え、と思っているとビールが運ばれてきて、すいませんさっきこれに気づかないまま注文してしまったんですけど、この飲み放題セットにできませんかと尋ねると、もうお会計が済んでしまっているので、すみません、と言われる。少し食い下がろうとしていると、隣の知人に「この人頭おかしいんで、すみません」という感じであしらわれ、乾杯。

 あっという間に最初のビールを飲み干して、フードの追加と、飲み放題セットを注文。「19:30」と書かれたシールを渡され、腕に貼る。頭上を飛行機が何度も飛んでゆく。しばらく前に羽田の新ルートが報じられていたけれど、こういう風景になるのだなあ。「今年はビアガーデンなんて営業していないだろう」と思い込んでいたけれど、意外と営業していることに気づいたのはいつだったか。土日に出かけると混みそうだから、最近は在宅で仕事をすることの多い知人に早めに仕事を切り上げてもらって、平日の早い時間に行こうと思って、今日やってきたのだ。お昼の段階で「今日は祝日だった」と気づいたものの、連休最終日なら人出もそれほどでもなかろうと新宿にやってきたのだが、駅前の人出はそれなりだったけれど、ビアガーデンは空いている。基本的には二人組の客が多く、静かに飲んでいる。それとは対照的に、BBQガーデンの若者たちはすっかり出来上がった様子で、肩を抱き合ったり、妙なポーズで写真を撮られたり。大学生たちも、普段であればサークル合宿だなんだとどこかに出かけるところが、今年はどこにも行けないから、ここで過ごしているのだろう。BBQガーデンは基本的には場所貸しで、飲み物や食材は自分たちで持ち込んで過ごしているようだ。3時間制であるらしく、17時半を過ぎたあたりから、あちこちのグループが片づけを始める。酔っ払ってふざけ合って、ほとんど進まない片付けを眺めながらビールを飲んだ。こんな若者たちの姿を、自分が若者だった頃からポジティブな気持ちで眺められずにいたけれど、今年はポジティブかネガティブかを超えて、ああ、これは感染が収束することはないだろうなと――別に苦々しい気持ちになるわけでもなく、ただ粛々と――思う。

 ビールを6杯飲んだところでビアガーデンをあとにする。大ガードをくぐり、東南口に出る。フラッグスに入っている店で服を物色する。「このシャツが一番こざっぱりしているから、これが夏の仕事着」と思って着ていた半袖のシャツがあるのだが、それを知人から「色あせとるし、よれよれだし、仕事のときに着んほうがいいやろ」と言われ、ショックを受けた。それが仕事着に向かないのであれば、新しいものを買わなければと物色する。フラッグスでは欲しい服を見つけられず、ルミネに移動してみると、「蛍の光」が流れている。今日は20時で閉店するようだ。駆け足でいくつか覗いてみたけれど、そんな短時間で見つけられるわけもなく、手ぶらで中央線に揺られて帰る。