10月19日

 7時過ぎに目を覚ます。9時にホテルを出て、今日取材させてもらうかまぼこ屋さんを訪ね、各種買い求める。「あとで取材にお邪魔します」とご挨拶してお店をあとにし、ファミリーマートでホットコーヒーを買う。ゆるゆる街を歩くと、観光客だろう、カップルが路地を歩いている。旅行で石垣島にやってくる観光客は、何が一番の目当てなのだろう。自分にとっては人に話を聞くこと、その生活に触れること、まだ書き残されていない言葉を拾うことがすべてになってしまっているから、不思議になる。

 ふいに兄のことを思い出す。兄は旅行好きで、海外も含めてあちこち出掛けていた。兄が30歳を迎える年に、「旅費は出すから」と誘われて、一緒にインドを旅したことがある。現地のガイドも同行する旅だった。あれはニューデリーだったか、宿にチェックインしたあと、夜になって「ちょっと夕食を食べる場所を探しがてら出掛けないか」と提案すると、「なにかあったら危険だから」と、兄はホテルに残り、ホテルのレストランで食事を済ませようと言った。それならわざわざインドに旅にこなくていいのではないかと思ったことを、なんとなく思い出す。これは自分を正当化したいわけではなく、日記として率直に書くと、街並みをするっと眺めて歩き、「へえ、こんなふうになってるんだ」と歩いて去っていく人たちに対して、微妙な感情が自分の中にあるのだといううことを、朝の街を散策しながら認識させられる。そんなことを書いている自分だって、さらっと歩いて、ちょろちょろっと話を聞いてまわっている観光客に過ぎないことは、よくわかっている。

 宿に戻り、かまぼこを味わう。魚の風味を強く打ち出したかまぼこを想像していたけれど、上品な味つけだ。そうだ、八重山かまぼこの歴史を調べておかなければと、図書館へ。『石垣市史』と『八重山生活誌』をめくり、かまぼこが出てくる箇所を複写しようとすると、コピー機に「故障中」の貼り紙があった。他にコピー機がなく、基本的には借りてもらって複写してもらうようにお願いしているのだと告げられる。カードを持っていない旨を伝えると、数ページならケータイで撮っていただいてもとのことで、写真に収める。そうこうするうちに10時半になり、編集者のTさんからも「市役所の駐車場につきました」とメールが届いたので、急いで宿に引き返してチェックアウトし、編集者のTさんと、南方写真家のTさんと合流する。

 11時、かまぼこ屋さんを再訪し、お話を伺う。とても印象深い話だった。1時間ちょっとで取材が終わり、もう1軒の取材先である食堂へ。取材は夕方にお願いしてあるけれど、まずはお昼ごはんをいただく。ぼくは八重山そばを頼んで、あっという間に完食してしまう。地元のお客さんも、観光客も、たくさん訪れているお店だ。新刊書店を覗いたあと、近くの休憩所(街中に無料の休憩所があった)でひとやすみ。縁側のような場所で、観光客がノーマスクで寝転がっていてぎょっとする。日曜日に那覇で原稿を渡した方から、facebookで修正してもらいたい箇所についてメッセージをいただいていたので、すぐに原稿を修正して、再度確認してもらえるように送信する。他には気になる箇所はないとのことだったので、原稿を担当者にメールで送っておく。

 しばらくサザンゲートブリッジの先にある埋立地でぼんやり過ごしたあと、15時過ぎに食堂に戻り、取材をする。人気の食堂で、この時間でもお客さんがぽつぽつやってきて、驚く。このお店に限らず、こうして取材で話を聞かせてもらうと、なんでもないこととして話をしてくださる方が多いように思う。それを「いや、なんでもないことじゃないですよ!」と過剰に書きたてるのでもなく、かといってさらりと書いて終わらせるのでもない、何か文体が必要だということを、お話を聞かせていただいているあいだ考えていた。

 16時に取材が終わる。フライトは19時なので、微妙に時間が余っている。編集者のTさんが「橋本さんは、ほら、日が傾いてくるとお酒が」と、コンビニに寄ってビールを買う時間を作ってくれて、ふたたびサザンゲートブリッジの先の埋立地に移動して、海辺でぼんやり過ごす。ケータイを見ると、休憩所で送った原稿について、担当者から返信が届いていた。今回の記事で話を聞かせてもらったのは、外国からやってきて孤立を余儀なくされている人たちの話でもあり、そうした人たちの居場所がようやくできた、という話でもある。その返信に、居場所が作られているのは伝わってくるけれど、「地元」に馴染めるようにと交流したりしている取り組みがあれば、それも紹介できればといった旨のことが書かれてある。視界が暗くなる。原稿で言及しているのは、畑の真ん中にぽつんとあるコンテナハウスで暮らしている実習生の人たちの話でもある。そうした人たちの居場所ができつつあるという記事の中で――反対に言えば、同じ地域社会に暮らしているのに「地元」とは扱われず、ほとんどいない者のように扱われてきた人たちのことを言葉にしている記事の中で――「彼らも『地元』に馴染めるように、こんな取り組みもしているんです」なんてことを書くことは、ぼくの倫理としてはありえないことだ。

 海を眺める。ふと、隣にいる写真家のTさんが、作家のSさんと一緒にいろんな場所でキャンプしていた頃の話を聞かせてくれた。あるとき、海辺でキャンプをしていたとき、危うく波に飲まれかけた話。その話を聞いて、ぼくは海が怖いんです、と伝える。山の中で育ったせいか、海ってものに馴染みが全然なくて、自分の力がまるで及ばない感じがして怖いんです、と。「その気持ちはよくわかる」とTさんは言った。自分も長野県の山ん中で育ったから、海は怖かった、最初にダイビングをしたときも50センチ潜っただけでパニックになって皆に笑われた、と。小一時間ほど埋立地に佇んだのち、空港へ。編集者のTさんと写真家のTさんは、雲の様子を眺めながら、今日の雲は不思議だと話している。夏の雲と、秋の雲が重なっているのだという。

 17時半には空港に到着する。ロビーではマスクを外して談笑する人もちらほらいる。ぼくだけ売店で生ビールを買って、ふたりのTさんと一緒に、送迎デッキに出る。ちょうど夕暮れ時で、空はとても綺麗だ。ちょうど那覇行きの飛行機が出発するところで、編集者のTさんが「プッシュバック」とつぶやく。それは飛行機が動き出した瞬間だった。飛行機の頭のところに、小さな車がくっついた状態で、機体はバックする。「飛行機はバックできないから、あの車が押してバックしてるの」とTさんが教えてくれる。飛行機には何度となく乗っているけれど、知らないことばかりだ。搭乗した飛行機が動き始めてから飛び立つまで、その機体がどんな状況にあるのかぼくには想像できないけれど、Tさんはきっと、クリアに今の状況が頭に浮かんでいるのだろう。

 保安検査場を通過し、缶ビールを2本買って、飛行機に搭乗する。後ろから3列目に変更したおかげで、隣は空席だった。ただ、前の座席の二人組のうちひとりが、マスクをあごにずらして談笑している。最初のうちはずらしたり、もどしたりを繰り返していたが、途中からはズラしたままの状態に落ち着いてしまう。おいおいこのままずっと過ごされたらかなわないなと、後ろから「すいません、マスクつけてもらっていいですか」と声をかけると、マスクをずっとつけていたほうの男性が少し動揺した気配が感じられた。マスクをずらしていたほうの男性は、ぼくの声が聞こえなかったようなそぶりをして、少し間を置いて、マスクで口を覆った。

 飛行機が離陸すると、パソコンを立ち上げ、機内Wi-Fiに接続して、担当者から届いたメールに長文で返信する。端的に言えば「そういった加筆をすることはありえない」という旨を書いて送ると、わかりました、ではこのままでという内容の返信がある。飛行機はとにかく揺れた。21時40分に着陸し、モノレールと京浜東北線を乗り継いで日暮里まで帰ってくる。小雨が降っているものの傘がなく、日暮里駅からタクシーを拾って帰途につく。1000円以下の距離で、この時間帯にロータリーに並んでいた運転手さんに悪かったかなと思ってしまう。22時58分に帰宅して、お土産に買ったかまぼこをツマミに、知人と『オールスター後夜祭』の録画を楽しく観た。家はたのしい。たのしいのに、どうして取材に行かずにはいられないのだろう。