3月27日

 朝から羅臼の原稿を書く。7割がた書き上げてあるので、残るは最後の仕上げ。昼は肉野菜炒めを適当に作って平らげる。大量に作ってしまったので食べ切れず、夜もそれをツマミに晩酌をした。飲みながら観た番組のひとつは、録画しておいたETV特集『沖縄の夜を生きて~基地の街と女性たち』だ。番組の主軸となるのは奄美出身の女性で、奄美出身者が戦後の沖縄で受けた差別のこともクローズアップされている。僕は奄美出身者が差別された歴史のことを、『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』で知った。ただ、僕自身が取材で沖縄に通うようになって、地元のメディア関係者の方がその著者に対して辛辣な物言いをするのを聞いたことがある。それはたしか、誰かにコーディネートされた「取材」をこなして、ごく一部の声だけを拾って、そのごく一部の声がすべての真実であるかのように書きやがって、と貶すように言っていた(その方は、「だから、ノンフィクション作家なんてうさんくさい連中だと思っていたけど、橋本さんは地道に街を歩いて取材をされているから、考えを改めた」というような文脈でその話をされていたから、余計に記憶に残っている。褒められて嬉しいとか、そういうこと以上に、自分はどこまで「真実」に触れられているのだろうかとぼんやり考えたからだ)。その方が「ごく一部の声だけを拾って」いると指摘していたのが、まさに奄美に関する話だ。そのメディア関係の人は沖縄出身ではないはずだから、「沖縄の人間が『差別をしていた』というレッテルを貼られるのは許せない」というような理由で反発しているのでもなさそうだった。だから、より一層、その言葉が印象に残った。もちろん、その一点を持って「奄美の人が差別を受けたことなんてなかったんだ」と思っているわけではないし、動かぬ証拠として、当時の新聞に差別的な文言が書かれてある。ただ、声を拾って書き記すことのむずかしさについて、あのときから頭の片隅でうっすら考えていたことが、ETV特集を通じてはっきり意識にのぼってくる。