2月14日

 4時に目を覚ます。寝坊できないから、気が張っているのだろう。自分の体調に関心が薄いけれど、こういうところから身体に負荷がかかっていることを意識しておかないと、いつかガタがきてしまうのだろう。5時過ぎにシャワーを浴びて、レンタカーに残しておく荷物と、持って行く荷物を仕分けする。6時にホテルをチェックアウトし、空港を目指す。ラジオをつけると、「ここはやっぱり、『細かいこと言うな』と、わったーたちが言わんといかんでしょう」と声がする。オリンピックのスキージャンプのことを言っているのだろう。6時15分に空港駐車場に到着し、ターミナルに入ってみると、早朝なのにやけに人がいる。預け荷物の検査場にも長蛇の列ができている。皆大きな荷物を手にしていて、それぞれ作業服姿だ。

 カウンターで編集者と写真家のTさんと合流してみると、何度も那覇から離島便に乗っているはずのふたりも「珍しい」という。どうやら同じ石垣行きの便に乗るようで、機械でチェックイン手続きを進めると、ほとんど満席に近い。大規模な工事があると、那覇から石垣に作業員の方達が派遣されることがあるのだろうかと尋ねてみると、いや、そんなことはないと思うんだけど、と編集者のTさんが言う。たしかに、これだけの人数を移動させて宿泊させると、それだけで大変な額だ。作業員の方達の技術を競う大会でもあるのかなあと、写真家のTさんが言う。
 7時15分発の飛行機に登場し、石垣島へ。飛行機を降りるとき、今日はバレンタインデーだからチョコレートをお配りしますと案内があったが、もらわずに降りる。トランジットのあいだ、売店八重山農林高校の生徒たちが考案したというお弁当「新ぱち農弁当」を買ってもらって、食べる。お弁当に使われている野菜やお肉も高校生たちが育てたもので、この売店でだけ販売しているのだという。ウマイ。パパイヤの煮物、ロースハーム、人参しりしり、島野菜素焼き、三元豚ラフテー、味噌漬けローストチキン、さんぴん煮卵、紅芋うむくじ天ぷら、じゅーしー。とっても豪華。天ぷらに、日バーチだろうか、スパイスがきかせてあるところに土地柄を感じる。

 僕たちが乗ってきた飛行機は、清掃作業が終わると、今度は那覇に向かう乗客たちを乗せて動き出す。僕たちが座っているベンチから、真正面にコックピットが見えている。機長はいちど飛行機を降りることもなく、石垣を発つ。ロビーでお弁当を食べているこちらに向かって、機長と副操縦士が手を振っている。整備士の方が飛行機に向かって手を振っているのは知っていたけれど、こんなこともあるのかと驚く。自分が見逃しているものがどれだけあるのか。写真家のTさんは、お弁当の包み紙を持って立ち上がり、飛行機に向かってしばらく手を振っていた。那覇行きの便が出発すると、ロビーにはほとんど乗客の姿はなくなり、保安検査場の係員の方達が談笑しているのが聴こえてくる。普段は一瞬で通り過ぎるその場所の声を聴いていると、不思議な感じがする。

 10時過ぎ、初めて――な気がするけれどどうだろう――歩いて飛行機に搭乗する。RAC741便与那国行きは思ったより席が埋まっている。「もうすぐジュールクニチだからねえ」と編集者のTさんが言うのを聞いてハッとする。水納島では新暦の1月16日だったけれど、ここでは旧暦でおこなわれて、しかも今年は2月1日が旧正月だったから、日付が揃っているらしかった。強風のため下地島空港に引き返す可能性もあると案内されていたけれど、40分弱で飛行機は無事与那国島に到着する。レンタカーを借りて、写真家のTさんの運転するレンタカーで、まずは島内を巡ることになる。

 取材でお世話になる方にご挨拶したのち、東崎へ。昨日の取材を終えたあと、与那国島は2013年、沖縄にちょこちょこ足を運ぶきっかけとなった滞在のときから、ずっと行きたかった島だということを、ふたりには話していた。2013年の滞在初日は6月23日で、慰霊の日だった。皆と一緒に平和祈念公園で開催されていた式典にも参列して、そこで児童による平和の詩の朗読を聞いた(この2年を除けば、あれから毎年式典に参列しているのは、ひとつには、平和の詩の朗読を現地で聞きたいから、というのもある。いくつか聞いた中でも、2013年の朗読がいちばん印象に残っている)。その年、平和の詩を朗読したのは与那国の小学生で、その詩の中に「よなぐにうまがヒヒンとなく」というフレーズがあり、それが記憶に焼き付いている。あれ以来、島に自生しているというヨナグニウマをいつか見に行きたいと、ずっと思っていた。でも、ただ旅行で行くというのはしっくりこなくて、いつかその時が訪れるのを待ち構えていた。ようやくその日がやってきた。

 東崎が近づくと、草原が広がり、馬の姿が見えてくる。無心で草を食んでいる。灯台の近く、車が行ける限界に達したところで、「灯台まで行ってくるなら、どうぞ」と見送られ、ひとり車を降りる(この日はまっすぐ歩けないぐらいの風が吹いていたこともあり、何度も与那国を訪れたことがあるふたりは車内に残っていた)。ヨナグニウマが目の前にいる。それを動画に収めて、最近なんとなく連絡をとれずにいた友人のA.Iさんにメッセージで送信する。いつか与那国に行ってみたいですねえ、と、Aさんとも何度か話していた。灯台への道の入り口には、家族だろうか、牛の群れもいる。大きな牛が、仔牛をずっと舐めている。牛の目はちょっとおそろしい。刺激したら蹴られたりするんじゃないかと、ちょっと遠巻きに通り過ぎ、馬だか牛だかの糞だらけの草原を、東崎の灯台まで駆ける。馬たちはヒヒンと鳴くこともなく、ひたすら草を食んでいた。

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 「初めての与那国が、こんなどんよりした天気なのも――」と、ふたりは申し訳なさそうですらあるけれど、これはこれで冬らしくていい気がしている。ひとしきり名所を案内してもらったあと、パン屋さんでお昼ごはん。馬の形をしたパンや、与那国近海で見られるのだというハンマーヘッドシャーク型のパンも並んでいる。編集者のTさんはサンドウィッチを、僕と写真家のTさんは本日のそばを注文。味噌ベースのスープに、アザミを練り込んだ麺。具材としてかまぼこと鰹の身がのっていて贅沢だ。壁に写真が飾られている。1966年に撮影された租納の集落と、1970年に撮影された租納の集落。1966年は茅葺きの建物がずらっと並んでいるけれど、70年になると赤瓦が増えている。ちょうどその時期が風景が変わる時期だったのだろう。その写真のポストカードをお土産に買う。

 お腹を満たしたところで、その写真が撮影された高台に連れて行ってもらう。琉球石灰岩による地層が、また別の地層の上に堆積してできたそうで、その層のあいだから水が染み出して落ちてくる。与那国には昔、田んぼもあったそうだ。ここには山があるから、水がある。その説明を聞いて、すとんと腑に落ちる。水納島は真っ平らだ。水が豊かだという首里も、丘になっている。なるほどなあ。高台から見晴らす祖納の集落は、1966年と1970年、どちらの写真からもずいぶん違う街並みになっている。

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 15時過ぎ、日本最西端だという民宿にチェックイン。受付の近くに小上がりのような座敷があり、そこにお弁当が並んでいる。そして、中庭には作業服がたくさん干されてある。どうやら今の時期は精糖工場で働く人たちが滞在しているようだ。シャワーを浴びて、しばらくベッドに寝転がってモードを切り替えて、16時から取材に出る。沖縄の食文化に対する知識がさほどあるわけでもないので、あんまり無知を曝け出してもお相手が話す気をなくしてしまうかもしれないと不安になり、最初のうちは編集者のTさんの質問に委ねつつ、次第に「家族」というところ、あるいは島の風土の話になり、あれこれ話を聞かせていただく。「ああ、今、この話をしよう」とスイッチを入れてくださっているのを感じる。それは別に、僕の話の聞き出し方が上手だとか、そういうことでは全然なくて、「味の決め手は?」だとか、「おすすめの商品は?」といった質問ではなく、より個人的な、家族の話を聞いているからだ。

 すごい話だったなあとしみじみ反芻しながら、お店をあとにする。集落の売店に寄り、缶ビールを買いだめして、写真家のTさんの運転する車で西崎の灯台まで連れて行ってもらう。年に数日だけ、ここから台湾が見える日があるのだという。台湾は与那国に比べると――沖縄本島と比べても――巨大な島で、しかも山脈が続いているから、ここから見える日にはその山々が聳え立つ様子が見えるのだそうだ(それを考えると、年に数回しか見えないのが不思議でもある)。灯台近くの東屋に、与那国を中心とした地図があり、九州や台湾も描かれている。なるほど、台湾は九州と比べても遜色ない大きさなのか。沖縄本島北部のあたりをみると、伊江島が描かれていて、瀬底島も描かれている。そのあいだに、2つ、小さな島が描かれている。おお、省略されがちな水納島も描かれているなと思いつつも、じゃあもう一つの島は一体何を指しているのだろう。

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